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衆議院議員
それまで私はチャランポランに生きていて、初めてものを託された。野田家を守ってくれと言われて。
それは誰に言われたの?
祖父に。祖母が死んじゃって、祖父が落ち込んでいて、自分が死んだら野田家がなくなっちゃうと。1人息子が島家に養子に行っていたからね。だから孫の中から1人、私が。
選ばれた?
選ばれたというか。まだ23歳で。初めて人からものを託されて。洗脳されたっていうのかな。
それは大学を出て、帝国ホテルに勤めているときに?
勤めてすぐに。
野田という名前を頼むと言われた?
そうそう。
頼むって、そのときはどうやって、野田になったの?
祖父と養子縁組をして。その時は政治家になるという話は全然なくて、ただ野田家というのがあって、祖母が入っているお墓があって、それを守るという一心で。
そうすると、お父さんが島さんで、お父さんに、「私は野田のおじいちゃんのところの養子に行く」と?
父と祖父が野田家がなくなっちゃうから、相談して。うちは3人子どもがいるから一番上をと。
それでも引き継ぐという決断が生まれたわけですね。私の父も、菊池家から佐々木家に養子にいっている人なのね。でも菊池家を継ごうとか、考えたこともなかった。たくさん兄弟がいるってこともあるのかもしれないけれど。
優秀だってことよね、お父さん。昔の養子さんは。
違うみたいよ。一卵性の双子で。
お父さん?じゃあ、伯父さんとお父さんはそっくりなの?
同じ顔。
面白い(笑)。
よく間違えた、子どものころにね、どっちが父だか分からなくて。父が先に生まれてきたから、弟になるのね。昔は。
そうそう。私はボランティア精神だったよね。つぶれていく野田家をつなぐみたいな。だから私の仕事は祖父しかいない野田家の人間になることと、自分で野田家の人をつくって、野田ファミリーをつくって、野田○○という子どもにバトンを渡すことだと単純に思い込んで。それが私の使命というか、大事な仕事だと。今でもその思いは一貫している。