佐々木かをりのwin-win 素敵な人に会いました、聞きました

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野田聖子さん

衆議院議員


高校をやめたいと言ったときに

佐々木

ちょっと生い立ちについても、お話ししたいんだけれど、そもそも、福岡で生まれて。でも田園調布雙葉高校って書いてあったんだけど、東京に引っ越してきたの?

野田

うちの両親は、九州にあった方の八幡製鐵の社員だったの。今の新日本製鐵が昔、合併したんですよ、八幡製鐵と富士製鐵が。そこで出会って結婚して、八幡の社宅で生まれたから、出生地は福岡なの。それで、幼稚園のときかな。父の転勤で東京に来て、田園調布雙葉学園小学校に入学したの。

佐々木

お嬢様学校、ですよね。

野田

田園調布雙葉学園はエスカレーター式で上がっていく学校だけれど、お嬢様学校ということで活性化されていないから、当時の理事長が「レアも入れよう」と、変な子をね。その1人だったの。

佐々木

でも高校を中退して、ミシガンに行ったというのは?

野田

それはYouth For UnderstandingというYFUで。

佐々木

それでミシガンに行ったんだ。それは留学したかった、行きたかった?

野田

そうね。いろいろな説が問われているけど。

佐々木

いろいろな説が問われてる?

野田

知的なお嬢様学校だったから、若干、飽きちゃったのね。うちの両親も変わり者だったけど、発散できない娘がいて、高校をやめたいと言ったときに、やめるなら、もっと上を目指せ、プラスアルファーを目指せと。そう言われて、何をしようかな、専門学校に行こうかなと考えていたときに、たまたま留学案内を見て、これだとプラスアルファーになるかなと、それで親に相談して。

佐々木

それでアメリカの高校に行って、高校を卒業してるんですよね?

野田

そうです。それでそのディプロマとSAT。私はそのままアメリカの小さい大学に行くつもりだったの。そのSATで行ける、そんなに有名校じゃなくて、小さな学校に行くつもりで。そしたら親が寂しがっちゃって、帰ってこいと。でも雙葉に戻ると1年遅れるじゃない。それは嫌だと言ったら、留学したアメリカの高校卒業証書とSATで受け入れてくれる大学が4校くらいあったんです。ICUと早稲田の国際学部と上智と、あともう1つあって、母が代わりに奔走して、上智が一番アットホームだったというか。

佐々木

小さかったからね、あのキャンパス。

野田

そう。母は市谷のムードが好きだったらしくて。学部長が面白いおじさんで。

佐々木

私も面接受けた。

野田

すごく陽気な神父さんで、すごく優しかったそうで。それでアプリケーションを出したら、SATを受けているからいいよということで、すぐに。


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