佐々木かをりのwinwin Marina Mahathir<br />(マリナ・マハティール) さん - イー・ウーマン(ewoman)

佐々木かをりのwin-win 素敵な人に会いました、聞きました

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Marina Mahathir
(マリナ・マハティール)
さん

ライター・マハティール元首相長女


父は一躍論争を呼ぶ男になりました

佐々木

あなたが10代、20代のころ、お父様のリーダーシップを、どうご覧になってましたか?

マハティール

先ほどお話したように、私が育った小さな町では、父はすでに医師としてよく知られていたんです。 母も同じく有名でした。ですから、そういう家庭であることに、少しは慣れていました。

父が政治家になったのは、たしか私が小学校の頃、1964年でした。初めて立候補し、選挙に出て、勝利したんです。 でも次の1969年の総選挙では立候補して、敗北しました。その時のことはよく覚えています。 朝、父に起こされた私は父に聞いたんです。「勝った?」と。すると父は「負けたよ」と言ったのです。 私は「え!どうして?」と。私は小さかったのでよく状況を理解できなかったんです。

その当時の私はよく理解していなかったので、少し怖かったなという記憶です。 父は今後どうなるのか、刑務所に入れられてしまうのかとまで。 でも母が「大丈夫、お父さんは大丈夫よ」と言っていました。 父はその後何年もの間、政党から除名されて政治からも離れていました。

1969年というのは、クアラルンプールとペナンで暴動が起こった年でもありました。 私の町は大丈夫でしたが、少し緊張感がありました。でも両親の友人たちや地域の人々はとても親切で、 私たちに食糧が十分にあるかなど、万が一のために心配してくれました。だから何も問題はありませんでした。

ですから、私は、「論争を呼んだ人物」「国内で知名度のある人物」の娘、ということになり、16歳で、町を出て全寮制の学校に進学する時には、私自身も随分有名になってしまっていたんです(笑)。

佐々木

クアラルンプールにある学校に行かれたのですか?


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