佐々木かをりのwin-win 素敵な人に会いました、聞きました

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秋池玲子さん

ボストンコンサルティンググループ パートナー&マネージング・ディレクター

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人の役に立てる人間になりたい

秋池

きっかけはいろいろあるんですけれども、一つは、人の役に立てる人間になりたいと小さなときから思っていたことです。想像していたほどには立派な人間にならなかったんですけど(笑)。あとは当時人口問題の深刻さが言われ始めていたんですね。

佐々木

「当時」って、ごめんなさい、それは何年?

秋池

小学生でしたから昭和40年代後半です。まだ右肩上がりの時代ですけれども、様々な社会問題が表面化したころではないでしょうか。子供だからそういうことに、すごく感じやすかったのですね。

あとは、私の実家が絹紡績の会社をやっていたので、「もの作り」にも思いがありました。自分も、将来、経営をするにしても、作るほうも理解しておくのもいいと思っていました。

佐々木

お父様が絹の紡績会社の社長さん?

秋池

そうですね。明治以降、群馬は絹産業が盛んだったので波に乗りました。

佐々木

じゃあ「自分が継ぐんだ」というような意識で。

秋池

跡継ぎは弟がいるので、あるときから気楽な立場になっちゃいました。ただ、技術の会社だったので、子供ながらに会社や工場に出入りする人の話を聞く機会があって、面白かった覚えがあります。

佐々木

それで、大学はバイオのどんな研究をされたんですか?

秋池

人間に有益なもの、たとえば薬品や食品などを作る微生物の研究をしていました。早稲田大学理工学部の応用化学科で、バイオの研究室があり、そこでそのまま大学院まで行きました。

人の役に立ちたいなどと考える一方で、幼稚だったと思うのは、就職のことをあまり考えていなかったことです。大学院1年生のときに、教授から「ここなら推薦しますよ」と、会社名を挙げていただいて、選ぶときになって初めて「就職ってするものなのだ!」と思ったほどです。

当時の理科系の学生は、とくに就職活動をするでもなく、研究を一生懸命やって、先生の推薦で一社を受けて入社するのが主流だったので、周りも比較的のんびりしていたように思います。私自身は、すごく遠い夢と、のんびりした学生の毎日みたいなのしかなくて、その間に職業があるということは、まったく発想にありませんでした。今の学生さんを見ると皆しっかりしていると思います。

佐々木

そうですね。それじゃ、推薦を受けて、キリンビールに入社されたんですか?


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