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そうです。私は90年入社なので、バブル期で売り手市場の、思えばいい時代でした。
何年間ぐらい在籍されたんですか?
4年です。結果的には製造系の企画部門に配属されました。工場が当時、国内に15あって、それらの中期計画とか設備投資計画、人材の採用計画を立てるとか、人材育成の方法を作るなどの仕事をしました。
今の仕事につながっているわけですね。
振り返るとそうですね。すごくいい経験をさせていただいたと思っています。
でも、バイオの研究者になりたいという思いからすると、キリンビールにせっかく入社したのに、いきなり経営の畑に行ってしまった。
大学院のときに、先輩方から、技術者の問題意識を聞く機会はたくさんあったんですね。「こんなに毎日一生懸命に研究して、いい開発をしているのに、会社は利益が出てない」とか「本当は技術のスペックがよくないアメリカの製品に受注で負けた」というようなお話を。
そのときに、技術の経営の難しさを感じました。私は一流の研究者ではないけれども、研究者が何を考えているか、技術者が何をやっているかは分かって、それを経営に結びつけるような仕事ができるといいと思うようになりました。
キリンビールに就職したとき、技術系社員は、半年間の研修があって、その中で、何回か面接をしていただいて、段々自分の希望を伝えしたりしながら決めていきました。本当にきめ細かくしていただける会社だったと思います。佐々木さんって最初からご自分の会社で?
ええ。私は大学4年生が就職活動をしていることも知らないで、学校に通いながら授業料のためにアルバイトに明け暮れているような人だったので、分からないままアルバイト先に就職し、その後すぐにフリーランスの通訳をして、起業なんです。だから格好いい起業ではなく、他に選択肢がなくなっていった上での起業なんです。そんなときに大企業に勤めた知人からバブリーな研修や待遇の話を聞いて、起業とはずいぶん違うと驚いたことを思い出します。でも、キリンビールも、先見の明があったっていうことですよね、秋池さんを経営に異動させるなんて。