佐々木かをりのwin-win 素敵な人に会いました、聞きました

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鎌田由美子さん

東日本旅客鉄道株式会社/事業創造本部 地域活性化部門 部長

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何が見えていないのかが見えないのが怖かった

鎌田

でも、ステーションリテイリングという会社は、今までの既存の会社じゃなくて、完全に、新しいことをやるための新しい会社だったので、既存の、今まである駅ビルとか、ホテルとかの会社の社長でこの若さで行くよりは、ハレーションが少なかったと思うんです。

佐々木

でも、辞令をもらって、その後はどんな感じなんですか。

鎌田

子会社なので、辞令を受け取ったら本社にいられません。その当時は15平米ぐらいの小さなオフィスを借りてぎゅうぎゅう詰めだったんです。で、一応、社長なので、ナンバーワンじゃないですか。で、ナンバー2の営業部長が、となりの机だったんですね。本当に狭くて。

人事の話をここでしたら全員に聞こえちゃうじゃないですか。だからメールで、こう目配せをしながら、「ちょっと、いつもの場所で」って言うと、向こうも「あっ、人の話だな」と思って、「かしこまりました」っていう感じで。

待ち合わせの場所が、フロアの共用のゴミ捨て場でした。何社か同じフロアに子会社ゾーンで入っているので。そこで立ち話というか、手を突きながら、ゴミ箱の上で組織図広げて、みたいな。そういう世界。さすがに仕事にも支障が出るので、青山に場所を探して、引っ越して、普通の労働環境になりました。

佐々木

社長になって、自分が仕事をしていく中で、「これは私、得意だな」とか「うまくいったな」っていうものって、どういうところですか?

鎌田

うまくいったのって、あまり記憶がないんですよね。

佐々木

そんなことないと思うけど。

鎌田

「社長はできないと思いますよ」って言った最大の怖さっていうのが、営業部長のときには、お客様からのクレームとか、いろんな事故とか、商売をやっていて難易度が高くても既存の延長線上にあったんですね。だから、何か見えていた部分があるので、どこまでも体を張ってできる、っていうのがあったんです。でも、社長っていう仕事は、違う視点で、いろんなものを見ていかなきゃならないので、そこの辺りがわからない。何が見えていないのかが見えないのが怖かったですね。

佐々木

視点が変わりますからね。

鎌田

はい。とにかく、見えない部分に怯えていたっていうところで、「私には無理だと思います」と。で、返ってきた言葉は、「いや、そんなことないだろう」って、それだけだったんですね。その後、悶々と考えて、翌朝「やっぱり無理じゃないか」と。で、できない5ヵ条じゃないですけど、できない理由を考えた。これも入社して初めて。いつもポジティブに考えていたので、できないものを考えるって初めてなんですけど、その1個ずつを「これは、こうやったらできるだろ」とか「これはこういうやり方があるよな」って教えてもらって、「あとは何ができないんだ?」って言われたときに。

佐々木

それは人事の方?


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