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それが上司の当時の常務です。そう言われたときに言葉に窮してしまって、「じゃ、僕は忙しいから」って立たれてしまったんです。「あー」って感じだったです。
その5ヵ条の「できない」って言っていたのは何だったんですか? 覚えています?
今ではよく覚えてないんですが、「営業しかやっていなくて、全体を統括するようなマネジメント的な仕事をしたことがない」みたいなことも入れた気がします。それも「部下を統括してきただろ」「いや、部下の統括と、会社全体の統括っていうのは、違うと思います」「いや、同じだよ」みたいな、そういう会話だったんです。
あ、あと、「とにかく経験上分からないことが多すぎます」と。じゃあ、それは何なのかって言われたときに、何だかすべてが怖いんですよね。財務とか労務管理とかコンプライアンスとかそういうものでもなくて、危機管理というか守っていくべき会社とか社員というものに対して、全然それだけの経験がない、そんな人間が社長?っていうのがすごく怖かったんです。
それは、どうやって克服していったんですか?
勉強もしましたけど、勉強と同時に、「ある程度の勉強だけでいい。あとはできない」と、考えたんです。私は営業をやってきたので、営業以外の分野はできる人と一緒にやればいいだけで、それこそが、まさに組織なんだ、と。一人でやっているわけじゃないので、だから、その組織としての強さをどう作っていくのかっていうのが仕事なんだろうな、と思ったんです。
そのためには、一人一人の社員の力をどこまで伸ばせる環境をつくれるのかっていうのが、イコール企業の総力になってくるという。だから、今までは自分でも一部分を作ってきましたけど、そうじゃないんだっていう感じですね。それと、当時の社長から頂いた一言にも勇気をもらいました。「人間いくつになっても初めてのことがあるんだ」と。
男性が多いわけですよね。
3分の2が男性で、比較的男女比のバランスは良かったです。
もしかして、年上の人も?
子会社の時は、年上はほとんどいなかったですね。JR本体は、年上が多いですけど。
そうすると、男性・女性は自分は関係ないと思っても、相手には関係あるかもしれない、というような時代背景だと想定するならば、そこで新しい事業で、組織を新しくつくるために、鎌田さんが、「ここは重要だった」って思うことは何ですか?
目指すべき方向性を共有すること。「駅を変える」という夢を一緒に描きました。また、部下への接し方。タイプが人によって違いますよね。情で言ったほうがスーッと入る部下と、論理立てて言わないと、そもそも受け入れることができないっていうのと、いろいろなパターンがありますよね。ですから人それぞれだと思うんですね。
私は中間にいた部長に恵まれていました。子会社の部長クラス、本社で言うと課長クラスのメンバー、彼らが人間が丸くて、よくできているんですよ。だから多少のことでは、全くへこたれないし、感情の起伏もそんなにないし、でも粘り強いし、言うことははっきり言う。私が言うのもナンですけど、よくできていたんですね。なので、多少私がキツくても、真ん中できれいに会社をまとめきれていた、みたいな部分があるんですね。で、真ん中のところと私は、議論をよくしていたので、大体お互いの意思疎通はできていてぶれを感じたことがありませんでした。