働く女性の声を発信するサイト『イー・ウーマン』
まず私は一度も親に「勉強しなさい」と言われたことがなくて、中学生になって、たぶん反抗期になったときに、「何で、私は言われたことがないんだろう?」と不思議に思ったぐらいです。5人兄弟なので、私だけかなと思って、姉にも聞いたんですが、誰も言われたことがないんです、一度も。
で、小学校1年生のときに、ある日、算数のテストがあって、私、全部間違って、0点の成績で帰ってきたんです、学校から。でも今まで親が成績のことなんか全く教えてくれなかったので、よくわからなくて、うちに帰って、「今日学校どうだった?」って聞かれて、「見て。すごいでしょ。丸を描いてもらったよ」って言ったんです。
お母さんがびっくりして、「えっ、これ、全部間違ったって意味だよ」って。「ふーん。で、全部間違ったらどうなるの?」って、初めて聞きました。その後、母に一生懸命、毎晩、算数を教えてもらったのを覚えているんです。
そのころ、国のテレビ局って、一つしかなかったんですが、毎日夜9時になると、必ず家族皆で「世界のニュースを見ましょう」ってなったんです。それだけは義務みたいな感じでした。
家族全員でテレビの前に集まって、世界のニュースを見る。教育方針だったってことですね?
たぶん、そうですね。もう眠くて、眠くて、「もう、寝ないの?」って。
ご両親は、どんなお仕事をされていたんですか。
父は、私が生まれる前から、その町の政治家だったんですね。日本語で何て言うんですか、市議会みたいなところで、ずっとやっていたんです。なので、とても政治的な人間だったし、お母さんは元々、これはこの間知ったばかりのことなんですけど、先生になるための学校に行って、卒業したら先生になって、女性として自立したかったんです。それが、父と出会って。父は、母が通っていた学校の校長先生か、副校長先生か、すごくトップだったんです。どちらが先に恋に落ちたのかは分からないんですけど、結婚して、その後、子どもが次々と5人できて、母の夢は、全然かなうことがなかったんです。
お母さんは何歳で結婚したんですか?
18歳。で、父が36歳。
年齢差18歳。それで、お父さんが学校の校長先生で、お母様と恋に落ちた。そしてお母さんは夢を諦めて、子育てに没頭した、と。
政治をやると、全く家にいないっていうことを、たぶんお母さんがどこかで分かって、それで自分が諦めたんですね。つい最近、父が亡くなったからだと思うんですが、話してくれたんです。
じゃあ、そういうご家庭だから、お母様も教育の志があって、お父様は政治の道だから、やっぱり世界のニュースを見て、子ども達には少し世界のことを知ってほしい、あるいはインドネシア以外のことを知ってほしいっていうことだったんでしょうね。
そうです。それだけが厳しかったです。「世界のニュース」を見たら、分からないことばかりじゃないですか、子どもにとって。だから毎回聞いたんですよ、親に。「エチオピアってどこ?」みたいに。
そして、エチオピアのことを教えてくれた。
そうです。「それ、どこ?」って毎回聞くので。
でも、それはいいですね。ただ見て、「ふーん。眠い。おやすみ」じゃなくて、それでやっぱり子ども達もちゃんと見て質問をし、親が答える。素晴らしい教育ですよね。