佐々木かをりのwin-win 素敵な人に会いました、聞きました

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エロック・ハリマーさん

川崎市外国人市民代表者会議第8期委員長

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質問があれば、これで勉強しなさい

エロック

で、たぶんそれがきっかけで、ある日、父が帰ってくると、百科事典をボーンと1セット。たぶん10冊ぐらい入っているセットを買ってきたんです。「これからは、質問があれば、これで勉強しなさい」と。

佐々木

我が家もでした! うちの父は、私が小学校3年生位のときに、ブリタニカの百科事典、当時何十万円もするような、高価な百科事典を買ってきました。当時、学校の友達の家に行くと百科事典が並んでいて憧れていて。私は羨ましかった。なのに、父が買ってきたのは英語の百科事典。英語読めないのに、です。でも「分からないことがあったら、これを読め」って。「英語で読めるようになりなさい」って。

エロック

すごいですね。私はインドネシア語でしたから、まだマシでした。

佐々木

読めないから、ずっと飾り物になっていましたけれども、大学になって初めて使いました。

エロック

あと一つ、私の姉は、小さいときに気が弱かったんです。たとえば、食べられない子どものニュースを見ると、もう見ないで、目を伏せてしまう。そうするとお父さんが優しく、「ダメダメ。見なさい。これは見ないといけないことだから」と。「嫌だ。かわいそう」と言っても、「見なさい」と。でも、そうすると眠れないんですよ。眠れないけど、何でこの子達がこうなっているのか、いずれ分かる、と。でも、私はちょっと気が強かったので、ずっと見ていたんです。

佐々木

気が強かった?

エロック

普通に見ていたんですけどね。そこから、その百科事典がすごく大活躍でした。今、子ども達が全部いなくなって、母がすごく大事にしているみたいです。時々、スカイプで話すと、「あなたの子どものときを思い出して、百科事典をボーッと眺めていた」とか言っています。

佐々木

そうなんだ。やっぱり家族の絆と教育の源が、家族でいろんな世界のニュースをディスカッションするっていうところから始まっているのね。

エロック

そうです。すごく若いときからです。

佐々木

それがエロックさんの、いろんなものに関心を持って進む源かもしれないですね。

エロック

そうかもしれないですね、小さいときから。

佐々木

でもそれってインドネシアの一般家庭の雰囲気ではないんでしょう、きっと。


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