佐々木かをりのwin-win 素敵な人に会いました、聞きました

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エロック・ハリマーさん

川崎市外国人市民代表者会議第8期委員長

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うちは普通じゃない。うちはちょっと違う

佐々木

でもそれってインドネシアの一般家庭の雰囲気ではないんでしょう、きっと。

エロック

子どもながら、「うちは普通じゃない。うちはちょっと違う」っていうのが分かっていたんですね。

佐々木

それは、お金持ちとか、階層がちょっと上だったとか?

エロック

私は1978年生まれなんですが、小学生のときって、インドネシアは、まだスハルト時代だったんです。だから政治、それから政府と関係のある人は、いろんな意味で上だったんです。お金があっても、なくても。

佐々木

そうか。

エロック

パワーを持っている、ということです。

佐々木

そういう意味では、かなりパワーのあるポジションの家庭ではあったんですね。

エロック

と思う。それから3つの政党があったんです。与党がゴルカルっていうパーティ(党)だったんですけど、父のパーティはPPPだったんです。これは2番目の党で、父はおそらく妥協的な、こっちの声も聞きましょう、こっちの声も聞きましょう、という人だったんですよ。だから友達がたくさんいて、すごくいろんな意味でパワーがありました。

佐々木

超党派ですか。

エロック

真ん中にいた人物じゃないかな、とよく思います。だから、子ども達が文句を言って「お父さんの給料って、どこに行ってしまったの?」と思うぐらい、「何で、うちだけが旅行しないの?」みたいなことばかりで……。

佐々木

うちと一緒だ。で、小学校、中学校、高校と地元で行って、大学は、ガジャ・マダ大学。

エロック

これは違う町に行きたかった、ということなんです。地元はブリタールという町で、そこからジョクジャカルタに行って。学生時代は本当にお金がなくて、エコノミークラスの電車で8~9時間ぐらいかかるところで、すごく最悪なときには座る場所もなくて、だからその時間、ずっと立ちっぱなしでした。

佐々木

うわー。でも、ワクワクしながら大学に行ったんですね。そこで日本語を勉強するっていう選択をしたのが事の始まりかなと思ったのですが、なぜ日本語を?それも「世界のニュース」ですか?


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