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でもそれってインドネシアの一般家庭の雰囲気ではないんでしょう、きっと。
子どもながら、「うちは普通じゃない。うちはちょっと違う」っていうのが分かっていたんですね。
それは、お金持ちとか、階層がちょっと上だったとか?
私は1978年生まれなんですが、小学生のときって、インドネシアは、まだスハルト時代だったんです。だから政治、それから政府と関係のある人は、いろんな意味で上だったんです。お金があっても、なくても。
そうか。
パワーを持っている、ということです。
そういう意味では、かなりパワーのあるポジションの家庭ではあったんですね。
と思う。それから3つの政党があったんです。与党がゴルカルっていうパーティ(党)だったんですけど、父のパーティはPPPだったんです。これは2番目の党で、父はおそらく妥協的な、こっちの声も聞きましょう、こっちの声も聞きましょう、という人だったんですよ。だから友達がたくさんいて、すごくいろんな意味でパワーがありました。
超党派ですか。
真ん中にいた人物じゃないかな、とよく思います。だから、子ども達が文句を言って「お父さんの給料って、どこに行ってしまったの?」と思うぐらい、「何で、うちだけが旅行しないの?」みたいなことばかりで……。
うちと一緒だ。で、小学校、中学校、高校と地元で行って、大学は、ガジャ・マダ大学。
これは違う町に行きたかった、ということなんです。地元はブリタールという町で、そこからジョクジャカルタに行って。学生時代は本当にお金がなくて、エコノミークラスの電車で8~9時間ぐらいかかるところで、すごく最悪なときには座る場所もなくて、だからその時間、ずっと立ちっぱなしでした。
うわー。でも、ワクワクしながら大学に行ったんですね。そこで日本語を勉強するっていう選択をしたのが事の始まりかなと思ったのですが、なぜ日本語を?それも「世界のニュース」ですか?