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年齢によって子どもの感性も違いますので、大変さもあって、そこから自分も勉強する。小学生に話すときには、「どうやって友達の違いを認めるか」、ということも一緒にやっているわけです。
たとえば「アメリカでは犬はどうやって鳴きますか?」と、聞くじゃないですか。それから、インドネシアではこう、韓国ではこう、と。子どもはそれを聞いて、「それ、違うんじゃない?」「インドネシア、全然似てなくない?」「違う!」とか言うじゃないですか。「英語も、おかしい」って言って。
そこから「どこが正しいと思いますか?」みたいな感じで、考えていくと、結局、国によって何もかも違う。でも結局、犬の鳴き声はどうであれ、犬は事実であって、鳴くのも事実。そこから、考えることに入っていくのが素晴らしいところなんです。
同じ音でも、聞こえ方、表現が違う、ということからの学びは、意味深いです。
これは子どもにとって、最初からすごく大事な話なんです。皆、必ずそこで、「そうだ」と学ぶ。
大事なことって、どういうタイミングでどんなふうに教えてあげて、どこの理解まで連れていってあげるかっていうのは、すごく大切なことですからね。
そうですね。で、「さようなら」って子ども達と別れるときに、私達がいつも言うのは、「今日の勉強は、あくまでも入り口だけなので、皆さん、後でお父さんかお母さんと一緒に、いろんな国のことを勉強して」と。
あと、私から見ると、多文化理解とか多文化共生とかって、国と国だけじゃないじゃないですか。たとえば同じ日本人の中でも、文化が違って、それこそ先程の話の、育ちが違ったりすると、すべてが違う。
だから、周りに違う人がいても、それをすぐにネガティブなほうに持っていかないように、というのが元々のメッセージなんです。その裏には、たとえば、それをやることによって、いじめをなくしたいということが、長期的な目的なんですけどね。