佐々木かをりのwin-win 素敵な人に会いました、聞きました

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エロック・ハリマーさん

川崎市外国人市民代表者会議第8期委員長

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姉には何があるんだろうって、いつも思ってました

佐々木

そうね。そうすると、エロックさんの源は、「世界のニュース」なんだけど、「世界のニュース」のもっと前の源が、お父さんとお母さんの「受け入れる」という姿勢なんですね。だからお父さんが党派を超えて、いろんな党の人の仲介役をして、話をちゃんと聞くこともされていた。

それは、どういうふうに、エロックさんの5人兄弟に受け継がれていったんでしょう。お話しを伺っていると、エロックさんはしっかり受け継いだのがわかりますが、他のご兄弟も受け継いだんですね、きっと。

エロック

私、姉がロールモデルじゃないですけれども、すごい人間だな、といつも思うんです。だから、たぶん一番、いろいろ引き継いでいるのがあるんだと思うんです。イスラムの中でも、インドネシアの場合は、ナフダトゥール・ウラマというのがあって、私の家族はそこです。NUと私達は言うんですけど、そのグループの中で、しかも父がかなりいろいろやっていた人物であって、もう一つのグループはムハマディヤというグループです。姉の旦那さんが、そこのグループなんですね。これは、もう当時の人にとっては、かなり大きな課題であって、「うーん」みたいな。

佐々木

違う宗派の人と結婚するということが、なかなか難しかった。

エロック

なかなかなかったし、同じ地区でしょ。そのときに私は彼女に聞いたんです。「大丈夫? あの人と結婚するんでしょ?」と。姉は普通に、「私は自分の親を信じている。『きっと大丈夫だ。行け。結婚しろ』と言われた。だから信じている」と言ったんですね。私の姉は、あんなに小さい体で、人を信じる力がすごいな、と思ったんです。

しかも、結婚して、たぶん計画的じゃなかったんですけど、妊娠して、妊娠が発覚する前に早稲田での留学が決まったんです。それで、「行きます」とボスに言った後に妊娠が発覚して、さあどうするか、また問題じゃないですか。こんなお腹で外国で暮らすわけ?

で、そのとき、彼女の旦那さんはインドネシアのすごく大きい会社のいいポジションをもらったばかりで、「どうする?」って聞いたら、「大丈夫。もう、物事はボジティブに行くしかない。絶対、大丈夫」と。「旦那さんは?」って言ったら、「大丈夫。これは私が話す」って言って。

その旦那さんは、仕事を辞めて、彼女のために日本に来たんです。だから、他の人から見ると、旦那さんはとてもいい人だなっていうのもあるだろうけど、彼女が、どういう話し方で彼に話したんだろうって。彼は、日本で彼女と赤ちゃんの面倒を見ていました。ただ、彼はジャーナリストでもあったので、ジャーナリストって、どこの国でもできるじゃないですか。だからやっていたんですけど。それ以外は、もう一生懸命、赤ちゃんの面倒を見て、姉は一生懸命に研究を続けて。

佐々木

今はどうされているんですか?

エロック

今、姉は、インドネシアの中央銀行で働いています。ご主人は普通の民間企業で働いています。すべて諦めて、姉のために。姉には何があるんだろうって、いつも思っていました。

佐々木

まだ発見できないんですか? その、お姉さんにある、秘密の宝物。


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