働く女性の声を発信するサイト『イー・ウーマン』
この日本を、どういうふうに分析していますか? もう、日本に住み始めて何年ですか?
9年ぐらいですね。
随分、変化があったでしょう?
変化が速いですね。たとえば、日本は本当はもう十分に国際化しています。ただ、まだ国際化になっていないところばかりを見ているじゃないですか、メディアとかって。ネガティブなほうを見ているんですよね。
それに、若い人達が、たとえば「どうせ年金はもらえない」とか「どうせ政治はダメ」とか、この「どうせ」を毎日聞くのが、もう嫌ですね。「エロックさん、何でそんなのやっているの? どうせ皆、興味ないでしょう」とか。
「どうせ」という日本語をなくす運動をしなくちゃいけないですね。
「どうせ」と「頑張ってください」って、他人には言うじゃないですか。私は、それって皆、自分に言っているのかな、と思います。子どもには「失敗してもいいよ」って言いますよね。それも自分には言っているのかなって、いつも疑問です。
確かに他人には言っているけど、自分には言っていないっていう人は多いかも。だからこそ先程の「要求から参加へ」がとても重要なメッセージなんでしょうね、今の日本には。
はい。かなり前ですけど、佐々木社長の一人一票のメッセージ、ありましたよね。私、あの新聞読んだんですけれども、そのとき、池袋のホストファミリーのところにいたんですけど。私、まさにそうだと思いました。「どうせ」じゃなくて「私も役に立てる」っていう姿勢が若い人にみえません。これですね。これしかないですね。
どうして、そうなっちゃったんでしょう。豊か過ぎるからかしら、と時々思うんです。本当に食べられないとか、本当に苦しいものを見ていないから、甘えているのかな。
ですよね。あと、留学がすごく流行っているんですけど、私もそうだったんですけど、オランダやヨーロッパに行きたい理由もそうだったんで、いい所に行きたいっていう気持ちは分かります。けど、もうちょっと違う所を見たら、たぶん変わるんじゃないかなと思う。
私自身も27~31歳ぐらいに、ニュースステーションのリポーターという立場でしだけれども、難民キャンプに行ったり、ボートピープルの所に行ったり、地雷の上を行ったりしました。20代の、大学を出てから、二十数ヵ国に行ったんです。投票権がないとか、住む所が制限されている人たちの苦しみに触れたり、命からがら、潰れそうなボートに乗って海を渡ってくる人たち、難民キャンプや、フィリピンのスラムにも行きました。モザンビークでは鼻と唇と耳と手首と足を切られて逃げてきた男性にも会いました。そういう場所で、お話を伺いながら、「こういうことって、東京では、ない。皆、甘い」と感じましたよね。小さなことにとらわれるのは無駄で、本当に、東京の人、幸せな環境の日本の人が世界に向かってできることが山ほどあるのに、って。
今の日本の若者は、気持ち的には辛いと思いますけれども、経済的な本当の苦しみは知らないです。そして、なんでか自信がない。「私の声が重要。私の声でどこかが変わる」という姿勢がなくて。それが、どうしてないのかな。
訓練なんですよね。親と学校と皆で。
そうです。子ども達に「僕には無理、先生」とか言われると、もちろん笑いながら対応しますけど、心の中では「これは、どうすればいいんだろう? 私にできることは何だろう?」って、いつも思います。
それは私も本当に思う。