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松井さんがレオニーを知ったのが、2003年にイサム・ノグチ庭園美術館のギフトショップで買った本だった、とのことですが。そこで、このストーリーに出会い、レオニーという人を知ったときに、どんな印象を?「すぐに映画にしたいって思った」と書かれていましたけど……。
まさに映画の主人公そのものだなっていうね。なかなか、そういう強いストーリーにできる映画の主人公っていないじゃないですか。やっぱり映画を作るにしても小説を書くにしても、1人の人間のストーリーを構築するのって、ものすごく大変で。頭で想像した人をこういうふうにドラマチックに描いていっても、どこかご都合主義だったり、予定調和だったりするのに、この作品の強みは彼女のトゥルーストーリーだってところですね。
そうですね。リアルですものね。
そこにすごいパワーがあると思った。私は過去の2作で、戦争花嫁の老いた夫婦愛、それからその後の「折り梅」の介護。どちらも私自身がそのことを、たとえば自分が親の介護にものすごく苦労していたという経験があったからそれに着目したっていうよりも、「時代がそういうものを求めているな」っていうところで、私自身は経験がないのに、ちょっと引いた目で作ったっていうのがあるんですね。
それを2本作ったあとに、私は、ものを作る人間として、もうちょっと自分を重ねられるもの、自分をちょっとダブらせるものっていうようなところで、一回、何かを作ってみたいなと思っていたんです。
彼女の人生と私の人生は相当違うし、彼女のような特異性はないんだけれど、でも私の場合は、息子が5歳のときに離婚をして、それからシングルマザーで育ててきた。私自身が離婚をした以降に女性としてのいわゆる自立的なことで学んだことみたいなものが、この人のストーリーを借りて、私なりの解釈で映画を作りたいなって。一度は自分がもう少し裸になって、という、そういう意味もありました。また、このレオニーのストーリーが、たくさんの資料があって、すごく緻密につくることができたわけじゃないんです。あまりにも埋めるべきところがいっぱいあった。
無名だからがゆえに、誰の手垢もついていない、それがものすごく私にとっては魅力でね。こんな、映画を作る者にとっての鉱脈のような人物が、誰にも気づかれずに、「あったぞ!」みたいに、そういう感覚があって……。