佐々木かをりのwin-win 素敵な人に会いました、聞きました

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松井久子さん

映画監督・脚本家・プロデューサー

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イサム・ノグチさんが親のことをちゃんと話されるようになったのは

佐々木

嬉しかったでしょうね。なぜ彼女はここまで無名だったんでしょう。無名だったっていう表現も、今は不自然な気がしますが。

松井

それはまず野口米次郎がアメリカでバーッと人気がでて、日本に帰ってきて、すぐ慶応大学で教鞭をとるまでにもてはやされて、しかも日本女性と結婚したということで、日本社会では、米次郎の家族や妻という存在への配慮もあって、しっかり蓋をされていたように思います。

ですからイサム・ノグチさんが親のことをちゃんと話されるようになったのは、本当に晩年の晩年なんですよね。「自分は本当に不幸な境遇に生まれた」って過度に思われていて、それがまたイサムさんの創作のエネルギーになったと思うんだけれど。特に、一度アメリカに行って、学校が閉鎖されて、映画の中にもある、あそこのシーンで、本当に自分が頼りにしていた母にも見捨てられたっていうふうに思って……。

その母にも見捨てられたっていう悲しみがずっと残っていて、なかなか許せなかったみたいなのです。イサムさん自身、たとえばアメリカでも評伝みはいっぱいあるんだけれども、やっぱり両親のことをしっかり語られてないですよね。レオニーが世の中に出て行かなかったっていうのは、それが大きかったと思います。

だからそういう意味でも、私は見つけたときに「この人こそ、今こそ世に出してあげなきゃ」と。「これだけイサム・ノグチは有名で、野口米次郎も戦前は相当有名な方だったと思う。そういう2人ができたのはレオニーがいたからでしょ」っていう。

佐々木

”It’s about time.”ということなんですね。彼女はきっと、このときを、松井さんに見つけてもらうのを待っていたのかもしれない。

松井

でもノグチさんは喜んでいらっしゃるかどうか。喜んでいただけると……。でもクランクインまで丸6年かかりましたが、いつも、うまくいっていないときは、「レオニーとイサムさんがまだ許してくれていないんだ」っていう思いがすごくあった。それで、あるときから、すごくスルスルと動きだしたときに、「やっと許していただけた」っていう。そういう人知を超えた力を感じずにはいられないような映画の道のりでしたね。


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