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アメリカの場合、日本よりももっと「シナリオ一本の力」で出演者を口説くんです。スタッフたちもシナリオを読んで集まってくるっていうシステムなので、シナリオのクオリティーですべてが決まりますね。
ですから私が書いたシナリオをただ直訳しただけでは、やっぱり通用しないので、アメリカ人が読んで説得力のあるシナリオで、私のやりたいことがちゃんと込められているものを、って。そういう意味では、日米共作のシナリオは本当に難しかったですね。言葉と文化の違い、アメリカ人の映画に対する考え方と、私との違いっていうのも、すごく大きくて。米国のシナリオライターは3人交代しました。
でも、自分の映画に思いを込めて、選んで、契約もして、こんなに書き進めてきたのに、「また振り出し?」って、すごくがっくりするわけでしょう。厳しい体験。シナリオライターに「あなたはダメよ」って言い渡さなきゃいけないのも辛いことですし、ここまで時間とお金を使っていらっしゃるわけだから、もうちょっと自分が我慢すれば、これでいけるんじゃないかっていう葛藤。「ノー」って言おうか、やっぱりもうちょっとやってみようかっていう、せめぎあいなんじゃないかなって。
そうです。でも、そのとき私は、「過去の時間が無駄になってしまう」とは、あまり思わないんです。それよりいつも、『そうだ! この人よね、やっぱり』という人に出会うはずだっていう気持ちのほうが勝つ。
そうすると、でもシナリオを読んでいて「ちょっと自分とぴったり来ないなあ」って思ったときに、次の人が見つかる前に、辞めてもらうわけですね。
そうですよ、もちろん。
「いい人がいたから」って替えるわけではない。
違います。
「やっぱりダメ」と言って辞めてから、あてもなく次の人を探す。やっぱりそれってそんなに簡単なことではない。その信念と情熱とがないと。
映画作りって共同作業ですから、人といっぱい出会う喜びもあるんだけど、人といっぱい別れなくてはならないのね。別れるときには、必ず相手も傷つけるし、自分も傷を受けるわけですよ。それはすごく辛いんだけど、そこにある軸は「作品」なんですよ。「私自身」じゃないのね。作品っていうのは、私と一体なようで、やっぱり作品は作品なんですね。「作品を守りたい」っていうことで。
分かります。私も、会社と一体のようですけど、やっぱり会社を守りたいわけで、別に私自身じゃない。とにかく会社に込めた志や哲学は生かしていきたいっていう思いがあるんですよね。
そうですよね。会社は実体があり、人々もいて、守るものが明確ですね。だけど私が守りたい作品は、まだ影も形もないから。すごく独りよがりでわがままで、私が意固地になって、非常に変な穴の中に入っちゃっているんじゃないかって、周りには見えるのかもしれない。それにそういう時は自分でも、「私、変に意固地になってしまっているかな?」っていう自問自答があるわけですね。でもいつも必死で、「妥協したらダメだ」っていう気持ちが強い。時間を掛けるのはあまり恐れなかったけれども、妥協するほうが怖い。