佐々木かをりのwin-win 素敵な人に会いました、聞きました

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松井久子さん

映画監督・脚本家・プロデューサー

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誰もやらないんだったら、私がやる

佐々木

この映画のセリフは、とてもきれいな英語で、心に届く表現だなと思って聞いていたんですけど、これは日本の文化を日本人だけではなくて英語圏の人にも見ていただきたいという意図が当然あって、英語で作られたわけですね。

松井

ええ。その企画をしたころに、ちょうどハリウッドが日本文化を題材に映画を作っていて、「ラストサムライ」とか「SAYURI」とか、わりと大きな映画が話題になってたんですね。でも私たちが観ると「違うぞ」っていうのがある。「何で?」っていうのがある。だけど一方で日本を見渡すと、誰も映画で「日本ってこうなんだよ」って表現しようとしている人がいない。

そこで「じゃあ私が」って。そういうところが、私の究極の図々しいところなんだけど(笑)、「誰もやらないんだったら、私がやる」っていうのがあって。私が美しいと思うのは、やっぱり明治や大正の市井の暮らしの文化なんですね。私にとって異国に見せたいのは、江戸時代、侍の世界ではないんです。そして自国の人々に対しては、あの頃は本当に普通の人々が、もっとインテリジェンスがあって、もっと教養人たちがいっぱいいたっていう、そういうのを日本人たちも「見て!」と。で、「失われましたよね」っていう。アメリカ人は日本っていうと皆、サムライ、ゲイシャ、フジヤマって言うけれど、でも、「イサム・ノグチのアートの美しさは、ここが原点よ」っていうのを見せたいと思ったんですね。

佐々木

何ていう言葉が正しいんだろう……。節度があるというのか、律する気持ちで、透明感のある、張り詰めた、でも温かいような、日本の日常の生活みたいなものが非常によく描かれていて。ああいう機微というかは、英語圏の人が観て感じ取っていただけるものなんですか。

松井

どうでしょうね。分からない。たとえばハリウッドのシナリオのように、もっとストーリーテリングがはっきりしていて、ドラマのうねりがもっとあって、ここでウワーッと泣かせて、ここでフッとすくって、ここで大団円っていうシナリオに、私の脚本はなってません。

本当にワンシーン、ワンシーンが、等分の大きさで羅列しているってシナリオだから、ハリウッドの人々とか、日本のプロの映画人たちにも、ちょっとインパクトが薄いとか、もの足りないとか、淡々としすぎているとか、ドラマチックじゃないとか、だから売りにくいとか。今できた現在のこの作品でも、プロから見るとそういう意見も聞きますね。ただ、あえて開き直ってしまえば、「それが私の作風です」みたいなことで。

私は、いつもお客さんを信じているところがあるです。制作者の意図が透けて見えるような、「はい、ここで泣きなさい。ここで笑いなさい。ここで拍手しなさい」っていうのは、どうかなと。

お客さんはもっと知的で、もっと想像力旺盛で、作り手が自分の想像力に委ねてくれる作品を求めているんじゃないか、お客さんのほうが分かっているんじゃないかっていうのがあるので。それはこれから答えが出るんですけどね。もう、すごく怖いんだけど……。


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