働く女性の声を発信するサイト『イー・ウーマン』
監督ご自身のこともお伺いしたいんですけれども、どんなふうにお育ちになったんですか?
下町で育ちました。母が小さなお店をやっていて、父はサラリーマンで、4人姉弟の平凡な家庭で。いわゆる向こう三軒両隣でお惣菜を交換しあう、お祭りが大好きという、東京の下町で育った典型です。
私の世代は、もちろんすごく優秀な人は違ってたでしょうけど、女性の自立とか、フェミニズムとか、女性が仕事をもつとか、そういうのが、まだ一般的ではなくて。高校から大学に行った女性もまだ少ないときだったので、あまり私はレオニーみたいに職業をもって社会で仕事をして生きていこうなんて全然思っていない、ごく普通の女の子でした。
でもその時代に、大学まで進まれたのは、ご両親の影響ですか、ご自身の意思ですか。
演劇科、ですから…自分でしょうね。
いつ頃から、考えていたんですか。
高校生ぐらいからでしょうか、演劇科に行きたいと思って。で、演劇科を出たときには、あの頃はアングラ芝居の全盛期で、全然就職することもなく、お芝居をやっていたんですね。で、食べられなくて、縁があってアルバイトで始めたのがライターの仕事で。あとは全部成り行きで……。
ご縁がずっと続いていくわけですね。でも高校のときに演劇っていうのは、なぜですか。小さいときに何かを観たとか触れたとか、ということですか。
うちの父がすごく芸能好きで、よく子供の頃から、父に歌舞伎とかを観に連れていってもらって。それと、私の若い頃はSKDとか。そういうのを観にいくことが多かったです。
そうですか。でも自分が踊ってみようとか、歌ってみようとか、俳優になろうとか、そういうことではなく。
そういうものを作る一部に参加したいっていう。
自分が出るんじゃなくて、こういうものを作ってみたいな、と。
そうですね。文学座とか民芸の芝居なんかを一生懸命観に行きました。その頃、吉行和子さんのお芝居も観ていましたし。そういう環境でしたね。