佐々木かをりのwin-win 素敵な人に会いました、聞きました

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松井久子さん

映画監督・脚本家・プロデューサー

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大学受験の時には勉強しました

佐々木

それで大学に行って、そして仕事をしていくっていう生き方に対しては、ご家庭は応援された。

松井

そうですね。私の場合は、姉がいて、姉は中学からエスカレーターのお嬢様学校に入れられていたんです。でも私は「お勉強で行きなさい」みたいに、公立の中学で、都立高校。妹はまた日本舞踊を習わせられたりしていましたから、私が一番お金がかからずに(笑)。

佐々木

4人姉弟の中で、どうして、お一人だけ違うように育てられた?

松井

成績がよかったからかな? 父がすごく教育パパでしたね。

佐々木

じゃあ、この子は成績がいいから、勉学ですすませようと。

松井

新聞記者か、弁護士になれとか、子供の頃、よく言われました。

佐々木

へえ、格好いいなあ。となると小・中学校のときに、もうお父さまは「この子は違う」って思ったんですね。

松井

めちゃくちゃ、ませていたようです。すごくおかしいエピソードがあって、姉が三つ上なんですけど、姉が小学校に入ったときに、「私も早く一緒に学校に行きたい! お父さん、何で私は学校に行けないの?」って言って、それで父は区役所に行って、「うちの次女を1年前に学校に入れさせてもらえませんか?」って頼んだけど、断られたって(笑)。

佐々木

じゃあ、中・高でも、すごく勉強されましたか。

松井

大学受験のときには勉強しました。小・中学校は誰でもできますよね。でも高校に行くと、いろんな学校から優秀な子が入ってくるから、そこでいきなり劣等生になって。だから、よっぽど勉強しないと早稲田に入れないっていう感じでした。


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