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本当に魅力的で、お話ししていると須藤社長には惹きこまれていくのですが、どういうご家庭に育ったんですか? 高校を辞めて、自分で稼いで生きなさいという、ご両親はどんな方だったのでしょう?
私の父は明治生まれの頑固者です。その当時ではエリートだったらしいです。明治生まれで大学を出て、それなりの仕事をしていたんですが、結核をわずらったんですよ。それから自分の思った仕事がなかなかできなくなったらしく。私は敢えてヒザをつき合わせて、父にそんな話を聞いたことはありませんけれども、仕事に対しては、相当な挫折があったんだと思うんです。自分はエリートだという気持ちと、俺はこんな仕事をするはずじゃないんだというのと。
建設の仕事をしていましたが、もともとその仕事は、好きでやっているわけではなくて、意に沿わないんだという気持ちがすごく強かったようです。私にとっては、職業で人を見るような、そういうところがあって、すごくそれが嫌でしたけど、今考えると、それも人を見る座標軸になってたんだろうなとは思います。
母は93歳で、今でも、とても元気です。働くことが大好きなんですね。だから私が働くことに大賛成。手に職をつけることにも大賛成でした。本当は自分が仕事をしたかったんでしょうね。子供を6人育ててましたので。うちは樺太から引き揚げていますので、母は非常に苦労したんです。
私が、仕事を始めてからは、両親からは一銭もお金をもらわないって決めてましたが、母は内緒で小遣いをくれるそういう人でした。
お父様とは?
確か25、6年前、こっそり私の働いている店に来たんですよ。どっかで見たことあるって思ったら、うちの父だったんです。こっそり店の陰から見ていて。ちょうどお昼時だったんで、「何しに来たの?」って言ったら、「近くに来たから」って言うんで、「じゃあ、お昼だから一緒に食べよう」って。そのときが初めて私の職場に来たんですが、その時はまだ、いい仕事だって言ってもらえなかったんです。でも、その10年後には「いい仕事を選んだね」って言ってくれました。
うれしかったですね。
うれしかったですよ。私は父を尊敬していましたし。
末っ子ですか?
末っ子です。母が「兄弟の中で、あなただけお父さんに可愛がってもらってた」って。私が一番下で、上の兄とは年も離れていて、父は私にはこの仕事をさせたくなかったんですね。ちゃんと高校を卒業して、学問を積んで、そこそこのところに勤めて、結婚して、子供を産んで、そういう生活をしてほしかったって。後になって言っていましたけど。
でもこの道を選んだどころか、社長になられていくわけじゃないですか。そこをお母さんは喜んでいらっしゃいましたが、お父さまは?
私が社長になる前に、父は亡くなりました。私もね、「社長をやりたい!」ということでなったわけじゃなくて、本当に、運のめぐり合わせ。自分がやらなければならないという状況に置かれたというのが本音です。