働く女性の声を発信するサイト『イー・ウーマン』
話はちょっと変わりますが、僕は今、ある大学の授業を受け持っていて、プレゼンテーションを教えているんですけど、「自分が見た自分」と「他人が見た自分」は違うっていうのが、学生たちが意外とわからないことに気がつきました。だから、授業では初期のころに「インタビュー演習」をして、友人からインタビューされるという体験をしてもらうことにしました。で、それを友人が発表するわけです。「この人はこういう人です」って。そうすると驚くわけですね。「えー、ワタシってそう見られているんだー」とか「ボクってそこは欠点かと思っていたけど、他人は長所と見るんだなー」とか。そういうことに初めて気がつく。そういうのをやって、ようやくズレが分かるんです。「自分が見た自分」と「他人が見た自分」との。じゃあ、本当の自分はどっちなのか、と。もしくは、どっちのキャラで行くか、とか、どっちをどっちに合わせるのか、とか。それとも上手に使い分けるのか、とか。
佐々木さんはさっき「自分を知る」みたいなことをおっしゃってましたけど、企業にしても、「企業自身が見ている企業自身」と「生活者に見られている企業自身」の違いが意外とわかっていない。だから、ネット上で何か言われると、すぐにそこでパニックになっちゃったりする。
核がしっかりしていれば、そんなに驚くこともないじゃない。
でも、「自分が見ている自分の核」と、「他人が見ている自分の核」というののズレがあって、意外と乖離が激しかったりするのを明確に認識しないと、やっぱり驚くと思います。そんなこと言っているボクもいまだによく驚きますけどね。この歳になっても自分ってわからないものですし、どんどん変わっていきますからね。
で、もう少し言うと、もし自分の核を分かっているつもりでも、それをしっかり他人にプレゼンテーションできないと、結局理解してもらえないですよね。たとえば政治家にも「自分が見ている自分の核」があると思うんです。そこにご自分では一貫性を保っているつもりでも、他人は「あの人いつもブレるよな」とか、全然違う風に見てたりする。こういうズレをどう処理するか、というのが、教えながらとても難しい。どっちかというと「他人が見ている自分の核」のほうに自分を近づけるんだと思うんですけどね。僕はブログなんかをやっていて、いろんな反応をもらって、「他人が見ている自分の核」がある程度わかっている。そこにだんだん「自分が見ている自分の核」を合わせていって、ようやく「自分」がひとつになる、というか。ま、ここでようやく「家族の話をすると、そこに無意識に合わせるようになる」というさっきの話に結びつくわけですが。
それは佐藤さんが内側から出しているものだから。
内側から出してはいるけど、結局他人からは違うように見える。それが、アウトプットを重ね続けるに従って、他人から見えている自分に自分がだんだん近づいてくるような感じがするんですよね。すいません、わかりにくくて。
私は、その真ん中ぐらいかな。私はブログとかがない時代から雑誌とか新聞とかに書いているものがあったりして、それをちゃんと読んでくれている人がいると、いいことを言っているじゃないけど、真面目な、あまりチャラチャラしていないじゃん、と思われたりしていたんですね。そうすると、たまに、私が非常にゆるい人間だ、ということがバレたときに、いい意味でサプライズになってくる。なので、私はだんだん外に出たときに、ちょっとゆるい、そんなに完璧な人じゃないから、という部分を少し出しながら、真ん中に寄せているというか、私としてはね。
わかります。そういう修正をいろいろしますよね。僕は、あまりいいことを言いすぎても、バレるので気をつけてます。
いいことを言ったと言っても、別に嘘を言ったわけじゃないじゃないですか。だけど、紙メディアとかで出していると、すごく立派な人に見えちゃうっていうか。
紙メディアってそういうところありますよね。