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すこし金重さん個人について、お尋ねしてよいでしょうか。京都大学にお入りになっていますけど、お生まれが京都なんですか?
母親の出身地の熊本県で生まれました。ただ、父親が山口県出身ですから、山口県下関市で育ちました。小学校と中学校は山口県ですね。中学の途中から高校までは父親の仕事の関係、印刷業でしたが、で関門海峡を挟んだ北九州の小倉に移って過ごしました。
じゃあ、大学はなぜ京都に行かれたのですか。
どうして京都に行くことになったかというと、高校2年の春休みに、当時、私の通っていた小倉高校では修学旅行で京都に行くんですよ。そこには、“古文の世界”があるんですね。御所だ、仁和寺だ、竜安寺だ、嵯峨野だと、いろいろ見学するわけですよね。これに私は感激したんですね。田舎者ですから「すごい! 教科書で勉強していることが、地名から何から残っているんだ」と。ということでものすごく強烈に、京都に行きたいという気持ちになったんですね。京都だったら京都大学に入れれば…と。
なぜ京都大学法学部から警察庁に入ろうと? 何がきっかけだったんですか。ご両親からの教育の中からの影響があるんですか。
当時は、学生運動の激しい時代で、学内は騒然としていました。卒業式もありませんでしたからね。授業もない。学内には京都の他大学や大阪、東京から過激派がやって来て、いろんなことをアジテーターよろしくやっていましたから、私は逆にそれが嫌だったんです。だから天邪鬼かもしれないけれど、これはおかしい、と。
参加するのではなく、この混乱はおかしい、と。
こういう状態は絶対おかしい。みんなと同じ過激な行動をとる必要はないと思っていました。そういう意識がありましたし、元々、卒業して仕事をするなら、民間企業よりは国家のために働きたいという気持ちがあったのです。そんな環境でしたから、当時の警察庁の人事担当責任者は京都大学の先輩で、ほかにも先輩方が結構いて、その強い勧めもあり、何か使命感みたいなものを感じて警察庁に勤めることになりました。
でも、国家のために働きたいと思っていたとか、学生運動で学生側に立つのではなく、どちらかというと、もう少し秩序ある状態を求めるというのは、それまでの育ち方の影響もあるのだろうと思いますが、何か背景として考えられますか。小さい頃に警察に憧れたとか?
そういうことはなかった。いや、そう言えば、地元の警察署に柔道の練習に行っていたということはありましたね。しかし、それは将来の警察勤務には結びつかないですね。むしろ、父親の影響があるのでしょうか。父親が、明治生まれで、戦前は天皇陛下をお守りする近衛兵でしたし、祖父も近衛兵でしたから、“国にご奉公するのが一番”というような父親の考え方を感じ取っていたのかもしれません。