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3年間の修業を終えて、ソシエ・ワールドに入社された。
そうです。そのときは高橋商事という名前でした。新店のオープニングの募集でした。うちは少し事業をやっていて、母がいつも読売新聞を読んでいまして、そこに募集広告が載ってたんですよ。私は自分のお店を開きたいってずっと言ってましたので、母が、「店を出すのなら、まずはオープニングのお店で経験させてもらうといいんじゃない?」って。
すばらしい。
そんなアドバイスをしてくれましてね。面接に行きました。昭和47年11月でした。
理容店は代々、息子が継ぐみたいなところだというお話でしたが、高橋商事も女性の理容師が飛び込んでくるのは珍しかったんですか?
それが高橋商事は、女性技術者が多数いました。
高橋商事を選んだのは、なぜですか?
新規オープンのスタッフ募集だからということも有りましたが、実はもう一つの理由は、“山”だったんですよ。
山?
うちの兄が山登りが好きで、私もよく一緒に登ってました。仲間は、みんな日曜日に山登りに行くんです。その時代、理容店は殆ど月曜休みで、でも、高橋商事は日曜休みだったので。これはいいって、そんな理由もあったんですよ。
土曜の夜から、「あずさ」に乗って北八ヶ岳とかよく行きました。でも、どんどん忙しくなって、結果的に、山は7年間ぐらいで断念しました。社員には「志は大事」ってよく言うんですけど、私の場合は実は山登りがしたかった。