佐々木かをりのwin-win 素敵な人に会いました、聞きました

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小谷真生子さん

テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』キャスター


航空会社に入った目的っていうのが

佐々木

そもそも、フライトアテンダントからテレビの世界に入ってっていうのは、どんなことを志望して?

小谷

航空会社に入った目的っていうのが、「お給料を貰いながら、いろんな世界を見ることができる」と。で、中国と、当時のソビエトのビザを期間限定で手にすることができて、休みになるとモスクワか北京に行っていたんですよ。

佐々木

もう、目的が明確だったんだ。

小谷

で、4年したら辞めよう、と。ジャーナリズムに行こうと考えていたの。学生からいきなりジャーナリズムは厳しいだろうと思って、それで、いろんな国を見たかった。で、37都市を……。

佐々木

そんな人に日本航空は、やられちゃったわけだ。

小谷

すみません。「ごめんなさい」って言わないとね。それで、NHKの衛星第1放送で、一つの枠があったから、「これだ」と思って……。

佐々木

で、応募したのね。じゃあ、もう本当に準備して、決めて、ジャーナリズムの世界に入った。勉強もし続けたし、飛行機代がタダで、いろいろな国を見られて、行かれないところにも行かれて、会えない人にも会えたり。偉いですね。私、そういうこと、考えもしないで生きてきたから。行き当たりばったりの人生で……。

小谷

嘘ばっかり。すごいですよ、20代で起業するなんて、なかなかできないと思う。

佐々木

それは偶然なので。「起業」っていう言葉がなかったんですよ。

小谷

でも「会社をおこす」っていう言葉はあったでしょ?

佐々木

「会社を作る」っていう程度。それで小谷さんは世界各地を見た。

小谷

たとえば、当時モスクワに行ったのが、クーデターの後で、そのときにゴルバチョフさんの右腕だった外務大臣のシュワルナゼさんにお会いしたりね。

佐々木

どうしてお会いしたの?

小谷

ホワイトハウスにいれてもらえたので、取材まがいのことをしていましたね。当時、自分で文章を書いたりして。別にそれをどこに出すでもなく。映像より、どちらかというと活字に憧れていたかな。

佐々木

それで、2,560時間フライトをした。

小谷

はい。37都市行きました。


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