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衆議院議員
日本のお嬢様学校では収まりきれず留学をし、自由な環境にいて、それで帝国ホテルという、すごいマジメな職場に。
違うのよ。就職難だったの。かをりちゃんはどこに入ったの?
私はどこにも入らなかったの。というか、アルバイトをしていた先にそのままお世話になって、その後すぐにフリーの通訳に。
私は9月入学だったんだけど、17歳で大学に入ってる。同じ学年の子より、半年若いのかな。3年半で卒業したでしょ。
私は4月に入ったから、日本の高校だから。
私は9月に入って、1年遅らせて22歳で出たんだけど。JALで内定が出ていて。そうしたら、飛行機事故がおきて、自粛ということで、そのときの地上職がなしになったの。それが分かって、しょうがないねって言って、夏休みにインドとか、ヨーロッパに行っちゃったの、ショックで。帰ってきたら、みんなが紺のスーツを着ていて。慌てて、まだ就職が決まっていない何人かと一緒に、今日はあそこに行く、その次はどこに行くっていうのがあったじゃない。
私は全く就職活動を学生がしているということすら知らなくて、アルバイトに明け暮れていたの。
私はちゃらい女子大生だったから、みんながやることをやらないと不安で。
私は4年の秋ぐらいに、「かをりちゃん、何してるの? 就職活動は?」って言われて、「就職活動って何?」みたいな感じで。
ええ?だって、学校に行くと、みんながはり出した紙をじっと見てるから。
それも知らなかったの。はり出されていたのかも知らなかった。
紙を見るのがその当時の習慣になっていて。私は友達と群れていたから。
私はみんなと群れていなかったから、全く情報が入らなかったんだね。日々、アルバイトをしていたから。
私は面倒臭いから自暴自棄になっていて、友達についていって、いろいろな会社を受けた。サントリーも、ソニーも、日本テレビも落ちたし、住友商事も。住友商事に至っては、「あなたは結婚する気はありますか?」って聞かれて、「もちろんあります」と。「うちは結婚するとやめる人が多いんです」って言われて、これは無理だろうと。香港上海銀行も受けた。そこをなぜ受けたかというと、給料がずばぬけて高かったから。当時で初任給が20万ぐらいのときに、30万とか。凄いっていうただの理由で行ったから落ちるんだよね。
最後に帝国ホテルの二次試験にだめもとで行ったら、今の社長の小林さんが面接官で。小林さんと面接の際、とても気が合って、小林さんの強引な引きで、何もできない私が入った。
そうだったんですか。すごい堅い仕事を選んだんだなって思ってた。
全然。ただおいしいものが食べられるのかなというのと、制服だったから服が楽だなっていう。私なんて、学生のころなんて働くという発想がなかったからね。