佐々木かをりのwin-win 素敵な人に会いました、聞きました

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佐藤尚之さん

コミュニケーション・ディレクター/クリエイティブ・ディレクター

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20~30代は全然芽が出なくて

佐藤

分からないですね。たぶん運もあったんでしょう。あのとき、わりと倍率が高いというか、職業的には意外と花形だったんですよ。バブルのちょっと前だったから。よく受かりましたよね。確か博報堂は落ちたんじゃないかな。落ちたというか、途中で諦めたというか、電通に受かったのが分かったので、すぐにやめたんだったかな。

佐々木

電通は早かったから佐藤さんを採れたんだね。

佐藤

というか遅いですよね。10月1日ですから。メーカーとか金融とか皆、夏に決まっているんですよ。

佐々木

だけど電通に受かったから博報堂はやめちゃったんだったら……。

佐藤

でも僕はスロースターターで、20~30代は全然芽が出なくて、まったく目立たなかったんです。クリエイティブには向いていないと思って、悩んだ時期も長かったんです。先輩とかにも、すごくできる人がいっぱいいるんですよ。CMを作るにしてもコピーを書くにしても。僕はわりと「長もの」とかは、まあまあできたんですけど。「長もの」というのは60秒とか180秒とかの長いものです。もしくは新聞広告の長いコピーとか、そういうのは書けたんですけど、15秒とかで短くバーンと目立つやつはあまり得意じゃなくて、こりゃ向いていないのかな、と思って。

佐々木

それは何歳ぐらいのとき?

佐藤

20代。コピーライターとかCMプランナーって、20代に芽が出ないと大抵ダメなんですよ。だから向いていないなって。営業に異動するか、もしくは全然目立たないまま二流か三流で終わるんだろうなってずっと思っていたけど、その頃インターネットが出だして、なぜかそっちにうまくはまりこんだんです。それと、自分がキャンペーン志向だって分かったのもその時期ですね。CM単体じゃなくて、CMとか新聞とか屋外広告とかネットとかいろいろなものを結びつけて、全体で人に伝える、そういうほうがずっと面白く思えるっていうのがだんだん分かってきて。それで少しずつ自分の立ち位置を見つけて、一歩一歩……。たとえばネットが出てきたとき、ネット広告の部署って、当時なかったんです。じゃあ僕が作りますって言って作ったり。その後、東京に帰って来てからも、新しい分野にどんどん手を挙げて、移っていったんです。そのころから徐々に最前線を走れるようになりました。


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