佐々木かをりのwin-win 素敵な人に会いました、聞きました

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南谷真鈴さん

エキスプローラーズ・グランドスラム 世界最年少達成記録保持者


13歳の時に気付いておけばよかった

南谷

今振り返れば、もっともっと考えればよかったなって思う。

佐々木

そう思う? 何をもっと考えればよかったと思う?

南谷

今でもまだまだ未熟なんですけれども、強く思うのは、人生っていうのは、一つひとつ、一歩一歩の選択の積み重なりだ、ということに13歳の時に気付いておけばよかったなって、今思う。

佐々木

わー、たぶん今50代、60代の人でも、「もうちょっと早く気付けばよかった」って言っている人多いと思うから、21歳の今、「13歳の時に気付いておけばよかった」なんて考えられるのは、いい気付きだと思います。

13歳って中学1年生。私なんか、そんなこと考えてなかったと思うな。私は、16歳で、高校1年で仕事を始めて、それから今日まで……。

南谷

16歳?

佐々木

そう。高校1年でアルバイトを始めたのが仕事始めで、それから今日まで親の経済支援は受けてないんですよ。だから、15、16歳からは一生懸命考えてきたような気がするけど、それまではそんなに、あんまり……。

南谷

えっ? 大学の学費とかは?

佐々木

全部、自分で稼いだの。入学金も。すごく高かったの。

南谷

えーっ!どうやってですか?

佐々木

アルバイト。

南谷

何のアルバイトがあったんですか?

佐々木

もう、時給400円の時代だからね。音楽関係の会社で、チラシを配ったり、コンサートのお手伝いとか、日々の事務のスタッフ。今から40年ぐらい前にもかかわらず、年間百万円以上の授業料という大学だったんですよ。

南谷

高い!

佐々木

だから、毎年夏の5ヶ月間、大きなジャズフェスティバルとかの事務局を月給制でアルバイトして。それで年間の学費を稼ぎ出す、みたいな。

南谷

よく、勉強する時間がありましたね。

佐々木

勉強は大変でしたよ。寝ないで勉強しました。上智大学の比較文化学科っていって、授業を全部英語でやっているところで、平均97点取らないとAを取れないの。93点でBで、80点でCになるの。でもGPAが2.0を3学期割ると、自動退学。すごく厳しかったの。授業を休むこともできないし、全部英語で。でも私、その時まだ海外旅行も行ったことがない、自分で英語を勉強して入っているから、毎日ものすごく勉強しました。


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