佐々木かをりのwin-win 素敵な人に会いました、聞きました

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佐藤尚之さん

コミュニケーション・ディレクター/クリエイティブ・ディレクター

講演依頼について問い合わせをする

自分と同じところをわざわざ探しに来てくれる

佐藤

僕、友人が4〜5人の席って一番居心地悪いんです。誰に合わせてしゃべればいいかわからないから。友人って似ている部分があるから、逆にコミュニケーションがしにくくなるんですね。でも100人や1000人の人が集まった講演会だと逆に楽です。全員に合わせることは不可能なので、「自分の意見」を言うんですよね。自分だけが思っていることを言ったほうが、人は向こう側から、自分と同じところをわざわざ探しに来てくれるっていうのに、だんだん気がついて。それはコピーの訓練もそうだったんですけど、たとえばこのペンの広告を、「滑らかに書けます」って言うだけでは、誰も共感しないんです。でも、たとえばボクが自分の体験に基づいて、「このペンはラブレターを書くのにすごく向いていて、照れくさい言葉でもすらすら進む」って書くと、読んでる人がそれぞれ自分の経験と照らし合わせて、共感を探しに来てくれる。

佐々木

それは ”I statement” ですね。イー・ウーマンで「働く人の円卓会議」っていうのをオンラインで展開しているんです。投稿してもらうときに、”I statement”で書いてくださいって言っているんです。

佐藤

「リアル鳩カフェ」のときにもおっしゃってましたね。

佐々木

そう。”I statement”とは、自分のことに限定して語るっていうことなんだけれど、まずその訓練しよう、と。それがものすごく重要な基礎訓練で、世の中がダイバーシティになっていくときでも基本となる。ダイバーシティって、たとえば、3人で会議をするなら3通りの視点とか意見が出なければ意味ないじゃない。ということは、「滑らかに」じゃなくて、一人一人が「私は、これを書いたとき、こういうふうによかった」とか「私は、こういうふうに持ったときの感じが好きだった」っていうふうに、自分のステートメントを発言できると、それらを寄せ集めて、選択する。それが多様性の原点じゃないかと思っているんです。だから「働く人の円卓会議」では、投稿のときに「国民はこう思っている」とか「中小企業としてはこうです」とか「九州女性としてはこう思います」とかっていう総論的な投稿はサイトに掲載しません。「私はこう思う」「私ならこうする」など、私の視点に限定して書いて下さい。その訓練をしましょう、と。

佐藤

そのとおりです。だから小説なんかでも、○○さんに捧ぐとか、○○さんひとりのために書いた、みたいなのがよくあるじゃないですか。あれのほうが結局大人数に伝わるんです。「僕は佐々木かをりさんのために書いた」って言うと、じゃあ、それは佐々木かをりさんにしか伝わらないかっていうと、逆にそのほうが皆に伝わる。自分の共感を探しにわざわざ来てくれる。そこにすごく強い共感が、逆に生まれるっていう感じ。

佐々木

それは自分の経験とかに基づいて言っているから、深いということじゃないですか。

佐藤

結局そうなんですよね。一般論のようなことを、皆に合うように、100人の人に合うように言うと、誰も響いてくれなくて、個人の意見、”I statement”で言ったほうが、皆バーッと響いてくれるのは、広告も講演もある種、全部そうかな、と。だから、共感を得ようと思うときは、常に自分の意見を掘り下げて、自分だけの意見を言う、と。ちょっと逆説っぽいじゃないですか。一般的には「分かりあう」って、相手に向かって言うって、相手に合わせるって皆思っちゃうけど。

佐々木

時に、「”I statement”って、単なるエゴじゃないですか」と言う人がいるんだけど、私、まったく逆じゃないかと思う。むしろ、自分の考えを述べること、私の体験を分かち合うことは、私の最低限、第一歩の貢献、存在理由というのかな。私自身がいるんだから、それについてどう考えたのか、過去にどんな似た体験があったのかを、まず述べるところから始めるっていう、そういう姿勢なんです。それに、そもそも一生それを言っていろとは言っていないので、第一歩の発言の訓練として、まず、始めませんか、と思っているですが、日本語の問題なのか、文化的なものか分からないけど、受け取りにくい人もいるみたいですね。

佐藤

僕はもう今や、逆に、そこにしか共感は生まれない、と思っているぐらいです。

佐々木

今日は心強い。「さとなお」さんにそう言ってもらえると、「そうだよね、やっぱり」みたいな。

佐藤

でも、それを、より強く思い始めたのは、この1年かそこらですけどね。


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