働く女性の声を発信するサイト『イー・ウーマン』
荒井さんが、そもそも法学部を出たにも関わらず、労働の世界に飛び込もうと思ったきっかけは何ですか?
大学3年のときに、当時のフジモリ大統領のお招きで、学生20人ほどと一緒にペルーを訪れまして、そのときにペルーの首都リマの郊外のスラムにある学校の開校式に出席したんです。95年のことでした。水もない、電気もない、かなり貧しい村で、そこに初めて学校ができて、子どもたちの目が輝いていたんです。私はもともと中南米にすごく興味があったんですけど、そこで「これだ!」と何かを掴んだような気がして。
その子どもたちの目の輝きが?
法学部で、そのままリーガルの道に進むこともできたけど、私のパッションはこれかもしれない、自分の仕事を通じて、自分が楽しく情熱を持って仕事ができて、また、子どもが学校に行かれるような社会を構築する、自分がその一要員になれる、一つの歯車になれる。これかもしれない、と。ということで、法学部だったんですけど、そのためには経済の知識も必要だ、と考え、ハンドルを切って、大学院では経済を勉強しました。
そもそも、ペルーに20人の学生が行ったのは何のプログラムだったんですか?
慶応大学が当時のフジモリ大統領に名誉博士号を授与したことへのリターン・インビテーションだったんです。それで、二十数名で行きまして、それがちょうど大統領の3選にかかっているときだったので、キャンペーンの一環として、彼の支持基盤でもあった貧しい地域を訪問しました。もともとはセンデロ・ルミノソ、「輝ける道」というテロ組織のベースだった、山奥のアヤクーチョとか首都郊外のスラムへ、大統領自らがいろいろ連れてまわってくださったということです。
じゃあ、日本から学生たちを呼んできたぞ、というのが、たぶん国民へのアピールにもなっていたわけだ。
国民にもメディアを通じて、もともと外国人なんか一歩も入れなかったようなところに、二十数名の、地球の反対側から来た人たちを連れていって、こんなに平和になったじゃないか、というのを大統領もすごくアピールしたかったんですかね?でも、その恩恵を受けて、単なるペルーの観光では終わらなかった。私にとっては、本当に人生の大きなハンドルを切らせていただいた、きっかけなので。写真をいろいろ持ってきたんです。
わ、見せてください!
「ラテンアメリカの子どもたちが働くことなく、毎日学校に行けるような社会の構築に携わりたい!」という気持ちが、私のスターティングポイントだったんです。今もラテンアメリカは好きだし、自分にとっては特別な地域にあたるんですが、今は、ペルーやラテンアメリカなど特定地域に拘らず、世界中の子どもたちが学校に通うことができる社会になるように願いながら、仕事をしてます。現在は、児童労働撲滅プログラムに所属しているわけではないんですが、グローバルビジネスとの連携のなかで見つづけているものの一つは自分のミッションでありパッションでもある児童労働撲滅。これが私のスターティングポイントの写真です 。
これを見ると、そのときの情熱を思い出す、みたいな写真なんですね、きっと。
いろいろな機会を与えてくださった大学と大統領には感謝しています。
フジモリ大統領と。