佐々木かをりのwin-win 素敵な人に会いました、聞きました

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荒井由希子さん

国際労働機関(ILO)ジュネーブ本部
多国籍企業局 シニア・スペシャリスト

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それを、あまりにも鮮明に覚えているというか、忘れられない

佐々木

今まで、東京で生まれ、慶応大学で法を学ぶ。たぶん正義感は強くていらっしゃったと思うんだけど、弁護士とかのリーガルの道に進むのではなくて、子どもの目を見たときに「これだ!」と思った。それは何だったんでしょう?

荒井

何か、掴まれましたね。ラテンアメリカはもともと興味のある地域だったんですが、興味を超えて、単なる興味がprofessional interestと、かぶったというか、両方を満たしてくれたんです。

佐々木

学校ができて喜んでいる子どもを見たときに、ということですね。

荒井

それを、あまりにも鮮明に覚えているというか、忘れられない。バスで帰るときも手を振っていて。頑張るときとかも含めて、「そうだ、今の仕事というのはパーソナルチョイスで、私はこれを好きでやっているんだ。職業選択の自由はあるわけだし、自分の身の置き場所の自由もあるわけだから、やっぱりこれだったんだ」とときどき思い出します。一昨年前にペルーへ出張した際には、その学校を訪問し、子供たちとお話してきました。それを通じて初心に戻る、というか自分のミッションとパッションも再確認できました 。

佐々木

ペルーとかラテンアメリカに興味があったと、さっきから何回もおっしゃるのは、どんな理由からですか。昔から?

荒井

結構、コラソン・ラティーノというか、ラテンハートがもともとあったのかもしれないですけど。「私、ペルー出身」と自己紹介しても、疑われたことはないです(笑)。ノリがラテンだとは、よく言われるんですけど、ラテン音楽を聞いていても心地いいし。

佐々木

それは私も一緒だな。

荒井

幼少時代、10歳から15歳まで米国に住んでいましたが、うち3年間はカリフォルニアでした。そのときにメキシコ人がいたり、ラテンアメリカの人もいたんですかね。当時、80年代なので、今ほどではないかもしれませんが、かなりラテンの香りがする土地だったと思います。そこから来ているのか、ラテンアメリカには、もともとすごく興味があって、大学のときも第二外国語の選択はスペイン語なんです。


開校式に参列した小学校を14年ぶりに訪問。子供たちと夢を語ったり。

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