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貧困アナリストとして働いていた当時、国連改革にも関わったんです。国連組織も、ユニセフとか、WHOとか、ILOとか、いろんな機関がありますけど、それぞれがバラバラに国レベルで活動していて、国連としての一体感coherenceに欠けてたのです。だから、国連諸機関が連携して国づくりの支援をするべきだ、とONE UN、「一つの国連」、という崇高なバナーを掲げる動きがあって。
そういう考えって当たり前のように思われるけど、当たり前に実行されてなかったし、そういうことにアレルギーを覚えるスタッフがいたり、いろんな既得権益がかぶっちゃったりとかするわけですよね。そこで、いろんな機関から何人かずつ、リソースパーソンとして、研修を受けて、国連改革推進者みたいなのをやることになって。なぜか私が任命されて、他機関職員と集中講義を受け、翌年からILOの帽子を脱いでUNハットを被って、アジア太平洋地域の色々な国におけるOne UN改革を進めるという役割になったんです。
それはうまくいったんですか?
レトリックとしてはよかったんですが、実際にやろうと思うと、掲げているバナーと、現実の改革でやっていることが、どうも噛み合っていないし、限られた資源が国づくりやターゲットに届いてない、というのが、どんどん見えてきちゃうので、私にはどうも納得がいかないところが多かったんです。で、セールスパーソンって、自分の売るもののバリューがフルに理解できなかったり、飲み込めないと、売るのが難しいというのと同じで、だんだん自分の中でも葛藤が生じてきちゃって。
つまり、国連を一つにしなきゃ、というミッションでいろんなところに行っているんだけど、一つになっていないじゃないか。それが本音なのに「皆一つですよ」とは自分には言えない、と。
あと、リソースは限られてるから、One UNにすることによって、効果的にチャンネルされるようにする、ということが目的の一つだったと思うんですが、オーバーヘッドに取られちゃったりするんですよね。それで、「はたしてこれでうまい方向に行っているのかな?」と。
当時はまだ国連改革も最初の一歩だったので、もう今はうまく行っているのかもしれないし、実際にいろんな国に行きますと、UNファミリーが一緒になって仕事をしている国もあります。かなり変わってきているとは思います。しかし当時はまだ改革が始まったばかりで、「おかしいな。どうなんだろう?」と、だんだん自分が国連職員でいることが嫌になっちゃって、「お金がうまく使われていない」みたいなね。で、当時は、自分で勝手に「トイレットボールシンドローム」って言っていたんですけど、考え始めたらとまらなくて、嫌で嫌で仕方がなくなりました。だんだんトイレの下方にバーッと流されちゃうように、ネガティブスピンが掛かっちゃって、歯止めが利かない。上に這いあがれない状態だったんです。ですからそんなときに、来ないか、と言われたときに、行ってみようかな、救われた、という感じでした。