佐々木かをりのwin-win 素敵な人に会いました、聞きました

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Saadia Zahidi
(サーディア・ザヒディ)
さん

世界経済フォーラム 男女格差・人材部門、シニア・ディレクター


「自分が生きるための金は自分で稼がないとならない」が、父の口癖でした

ザヒディ氏

私はパキスタン人です。ご存知の通り、パキスタンは男女平等ランキングでは世界で最下位の国の一つです。イスラマバードとラホールで育ち、英国の高校に留学しました。でも高校3年の時にパキスタンに戻り、その後アメリカの大学に進学し、スイスの大学でも勉強しました。つまり、子どもの頃から、いろんな国に住んだ経験があるのです。

佐々木

それはご両親の教育方針? それともご両親の仕事の都合のためですか?

ザヒディ氏

両親の仕事もありましたし、母が40歳になったときに、英国で博士号を取ると決めたので、そのために家族で英国に行きました。

佐々木

素敵なお母様ですね。パキスタンにお住まいの時にそう決心されたのですか?

ザヒディ氏

ええ、パキスタンに住んでいるときに、母は「博士号を取るために英国に行く」と決めました。私は高校に入ったばかりだったので、母と一緒に英国に行くことになりました。

佐々木

すばらしい。お父上はどんなお仕事をされていたのですか?

ザヒディ氏

父は石油関係の仕事をしていました。私は2人姉妹ですが、娘たちにはきちんと教育を受けさせるというのが父の考えでした。パキスタンは男性上位の国ですが、娘たちには出来る限りの教育を受けさせ、経済的にも自立する力を持つべきだという信念を、父は持っていました。男性の経済力に依存した一生を過ごすのではいけないと考える父は、娘たちの教育をとても重要視していました。

佐々木

素晴らしい。おじいさまやおばあさまの代はどうだったのですか?

ザヒディ氏

祖父母はとても保守的でした。祖母は私が生まれたとき、女の子だと知り、とても失望し、落胆したそうです。

佐々木

そんなご両親に育てられたお父様が、全く別の考え方をされるようになった理由はなんだと思いますか?

ザヒディ氏

父が受けた教育のおかげ、そして小さいときから親元を離れて暮らすことを強いられたことも影響しているのではないかと思います。父は若いときに大家族の面倒をみることになり、そのことが、家族が経済的に自立することの重要性を父に教えたと思います。「自分が生きるための金は自分で稼がないとならない」が、父の口癖でしたから。大家族を経済的に一人で支えてきた経験が、父に娘の教育の重要性を気づかせたのだと思います。


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