佐々木かをりのwin-win 素敵な人に会いました、聞きました

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Marina Mahathir
(マリナ・マハティール)
さん

ライター・マハティール元首相長女


カトリック系ミッション・スクールに通いました

佐々木

子どもの頃の話を聞かせてくださいますか。 マハティール首相の長女として生まれて、どんな生活を送り、どんな教育を受け、 どんなことをお父様から教えられましたか?

マハティール

私はアロースターという小さな町で育ちました。マレーシアの北部、タイとの国境の近郊にある町です。 そこは父の生まれ故郷で、私たち兄弟全員がこの町で生まれました。私が長女で、4人弟、2人妹がいます。 私は15歳になるまでこの町で暮らしていました。

ですから、とってもいい子ども時代を過ごしました。自宅には大きな庭があり、この町でたくさんの友人ができました。 まさに「小さな田舎町でのいい暮らし」でした。

学校は、修道女が経営するカトリック系ミッション・スクールに通いました。とてもいい学校でした。

佐々木

イスラム教徒、なのにミッションスクールに?

マハティール

ええ。確かに多くのマレー系、イスラム教徒の親たちは、子ども達が改宗させられてしまうのではないかと心配して、 この学校に通わせることを嫌がりました。でも私たちのようなイスラム教徒の生徒もわずかながらいたんです。 父は、いい学校だし、学校ではすべて英語で教えるからと、私をその学校に通わせたんです。おかげで今、 私はこうして英語が話せるようになったんです。

佐々木

なるほど。小学校からですか?

マハティール

幼稚園からです。幼稚園の3年間、小学校も最後までそこに通いました。

佐々木

すべて英語で。

マハティール

すべて英語です。幼稚園の3年間、初等教育の6年間、前期中等教育の3年間、合計12年間。

佐々木

ミッションスクールですから、学校ではキリスト教の授業もあったのでしょう?

マハティール

いいえ、それが、なかったのです。

佐々木

イスラム教徒に敬意を払っていたのでしょうか。

マハティール

そうです。先生方は修道女たちだったんですが、宗教と関係なく、規律のある学校で、小さな町の、とてもいい初等教育を提供する学校でした。 ですからあらゆる地域からいろいろな家庭の女の子たちが集まってきていたんですよ。 今でもこの学校での友達と付き合いがあります。幼稚園から一緒だった2人は今でもとてもいい友人です。

佐々木

それは素晴らしいですね。

マハティール

ええ、とっても素晴らしいことでしょう? 私たち兄弟は全員、その町で育ち、とても楽しく気楽に暮らしていたんです。父は当時医師だったので、すでに町では有名でした。

父は、政府機関の病院を去った後、マレー人として初の開業医となりました。マハー医院というクリニックを開業したのです。 本当に町中の人が父のところに通っていたのです。今でも多くの人に「私は、お父さんの患者だったのですよ」などと声をかけられます。

私の母も仕事をしていたんですよ。母は政府機関の病院で働いていて、その後、民間の病院に移り、後に女性として初の、 州のメディカル・オフィサーになりました。これは州政府の医療機関のトップのポジションです。 母はこの肩書きを持ったマレーシア初の女性で、定年までずっと働いていました。母も父も共に医師、なんです。

佐々木

素晴らしい。では、ご兄弟にもお医者様がいらっしゃる?

マハティール

それがね、残念ながらいないんですよ! 私の両親はとてもリベラルで、子どもたちに何でも好きなことをさせてくれました。 唯一言われたのは、大学まで卒業すること。大学を卒業したら、その後は好きなことをしていいと。

ですから子どもたちに医師への道に進むことを、決して強制しませんでした。でもきっと、今ちょっと後悔しているに違いないですよ。 父の友達の子どもたちの多くが医師になっているのを見て、ちょっとうらやましそうにしていたりしてますしね(笑)。


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