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会議番号:3214 開催期間 2013年01月18日- 01月25日
たくさんの投票や投稿をありがとうございます。学校教育法では、体罰は禁止されているにもかかわらず、「学校での体罰の経験がある」という方が6割という状況に、びっくりしています。でもそれが、現実なのでしょう。もちろん、経験談なので、その学校や教師が継続的に現在も体罰を行っているとは限りませんが。 Akodechuさんは「中学校の時、マラソン大会の後に学校に戻って部活に参加しなかった事を担当教諭に責められ、休み時間に職員室前廊下に呼び出され、ビンタとテニスラケットで殴打されました。メガネが壊れ、頬は腫上がり……」、海里MUMさんは「小学6年の担任が、木刀でおしりを打ったり、木刀を持って説教をしながら気分に任せて児童の机を木刀でたたいていました」 ほかのたくさんの方も、学校での体罰の経験を語ってくださいました。平手で叩くような体罰はあると思っていましたが、ラケットや木刀、木製の定規などでの体罰を受けた経験があるというコメントに、驚き、胸が苦しくなりました。思い出すのもつらい経験を教えていただき、ありがとうございました。 NAMICHANTOKOKOROさんの、「小学5、6年生の担任(男性)から毎日のように体罰を受けた、見た、経験があります。教室に名簿が貼られ、例えば宿題忘れでシール1枚、5枚でケツバット(木製の長い定規でおしりを叩かれる)10で平手打とランクが進み、最後は教室に入れない、存在を無視されるというしくみ」という経験は、体罰がエスカレートするということを、如実にあらわしています。言うとおりにできないと、叩く回数が増える、平手が木製の定規に……「体罰は、多く重くなっていく」という図式です。 Nhatsueさんの、部活のコーチからお子さんへの「いらない」「やめろ」「やくたたず」そんな言葉に耐えてきた娘を見てきました、というコメントのように、言葉の暴力も少なくありません。 でも、体罰を受けた経験があるという、かぶちゃんさんや、coharuさんは、「痛い思いをすることで、次から忘れないようにしようと思わせるようにする」「自分が更生するための体罰だった」とおっしゃっています。 ほかにも、体罰を肯定するコメントを書いてくださった方がいますが、体罰と、大人への尊敬や敬いを一緒に考えてしまっていないでしょうか。痛い思いをしないために忘れ物をしない、ミスをしないように行動をしようとすることは、子どもの自発的な「成長」にはつながらないと思います。 恩師に、報いたいとがんばる気持ちは、「体罰を受けたから」起こったものではないでしょう。指導してくれているという感謝の気持ちや信頼関係があったからこそ、体罰を受けても、それを肯定しようと、自らの気持ちを守るために、そのような考え方になっていないでしょうか。 「屈強な身体の大人による暴力に、強い恐怖を感じました」というimagadaijidさん。 大人が一方的に殴れば事件になるでしょう。それなのに、力の差があり、子どもからは逆らえないという上下関係があるなかでの、大人から子どもへの体罰は、威圧と恐怖を与える暴力であると思います。 「道徳教育の映画を見て……少しの間ですが私は下を向いて靴下を直して……それが教師にはサボっていると見えた……ただ殴られました」という要さんは、「たった1回だけなのに忘れません」とおっしゃいます。体罰は、心に傷を残すものだと思います。 体罰や威圧から「(いけないことを)しないようにする」のと、体罰(暴力)ではなく、適切なアドバイスを受けることで、「(いい方向に)自らがんばろうとする力」には、とてつもなく大きな差があると思います。 引き続き、体罰を受けた経験を教えてください。また、その体罰は、本当に必要なものであったのか、体罰以外の別な指導法がなかったのかもお聞かせいただけたらと思います。★こちらもご覧ください!〜高祖議長の過去の円卓会議〜・虐待。親子を救う方法ありますか?・しつけのために叩くことは、必要ですか?
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