佐々木かをりのwin-win 素敵な人に会いました、聞きました

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Marina Mahathir
(マリナ・マハティール)
さん

ライター・マハティール元首相長女


チャリティーに関することをやろうと考え始めました

マハティール

クアラルンプールです。その時初めて、チャリティーに関することをやろうと考え始めました。最初に私がやったことは、大規模なファッション・セールです。ファッション・エイドと名付けました。

佐々木

ファッション・エイド。

マハティール

当時、アフリカの飢餓救済が活発な時でした。

佐々木

ああ、ライブエイドがあったり、We are the worldがあり。

マハティール

そうです。だから裕福で、デザイナーの服なども着ている友達に電話したんです。 絶対に1度か2度しか着てない服をたくさん持っていると思ったから。 「いらない服をすべて私に頂戴。売って、寄付金を集めたいんです」と。 皆喜んで服を提供してくれて、おかげでたくさんの寄付金を集めることができました。

伊勢丹とも仕事をしましたよ。クアラルンプールに伊勢丹があって、よく知っていました。 彼らは企画運営や洋服の用意、集金レジの管理などを手伝ってくれました。 その時、約10万リンギット(約300万円)もの寄付金を集めることができ、 アフリカの飢餓救済のために寄付金として送りました。

その時が私にとって初めてのチャリティー活動でした。 同時に、その時、初めて世間に私の存在が知られた時でもありました。 このイベントについて、あらゆる場所で広報活動をしていましたから。 それで人々は私のことを「彼女はチャリティー活動をしていて、寄付金の集め方も知っているんだ」と思うようになりました。

それから、出版社と一緒に、大勢の写真家と写真集を作る機会がありました。 マレーシアのための本ということで、写真家は46人、それぞれ1日、マレーシアに分かれて 各地で写真を撮りました。

佐々木

似たプロジェクトに参加していたアメリカ人写真家を知っています。 A Day in the Life of Japan といって大勢の写真家が、ある1日、日本で写真を撮り、 写真集にするというものでした。

マハティール

そう、コンセプトはそれと同じです。私はプロジェクト・ディレクターでした。 以前の雇用主に手伝ってくれと頼まれて仕事をしたのですが、そこではマネジメントやチームのまとめ方を学びました。 たくさんの写真家が関わりますから、複雑な仕事でした。 どこで撮影をするのか、どんな風景を撮るのかなど、すべて管理しなければなりません。 そして私はこのプロジェクトの広報活動を担当しました。

そういった仕事を通じて、私はまとめ役としてのスキルを磨いていき、その後、 地域のために活動したいと思うようになりました。

同時に私はどの分野の専門家でもないなあ、と思い始めたんです。 私は誰もが最低1つ、何かの分野において専門家になることが大切だと思ったんです。 切手収集でも、編み物でも、考古学でも、何でもいいんです。何か自分が得意なもの、 語れるものを1つだけでも持つべきだと。

そう考えたら、私には何もありません。私はスキルを身につけたけれど得意科目を1つも 持っていないな、と思っていたんです。 そんな時に、マレーシア・エイズ財団から連絡が入ったのです。


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