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会議番号:3144 開催期間 2012年01月30日- 02月06日
一週間さまざまなお考えを投稿していただき、ありがとうございました。 ほとんどの方は、ある宗教を深く信じているというのではないですね。そうした人たちのお寺や神社のとらえ方は、仏教宗派や神社側がこれらに与えている意味づけとは少し違うところがあります。 教典に記されたような神や仏という存在はそれほど気にせず、自然が放つ何かの力を感じることを大事にしているように見受けられました。 宗派や教派とはかかわりをもたず、日常生活の中に溶け込んでいる宗教のあり方は、自然宗教と呼ばれることがあります。今回の皆さんの考え方には、それに近いものを感じました。 たとえばKemkemさんは「何が祀られているかより、信じて集まる善男善女のエネルギーにとても魅力を感じます。」と言っています。 ポーチュラカさんは「あまり細かい事にこだわり始めると、自分と向き合う意味で信仰という行動が制限されてしまうように思います。生活の中に宗教を取り入れるとき、これくらいの距離感が私にはちょうどよいです。」という立場です。 俗的な場所とはどこか異質のものを感じられる、そうした場があることになんらかの必要性を感じつつも、それに縛られるようにはなりたくないということでしょうか。 こうした考え方は、強い宗教的信念をもって生きている人たちからすれば、生ぬるく思えたり、いいとこどりする少々身勝手なものに映るかもしれません。 でも、一人ひとりの信仰はあまり関係なく、気の向いたときにお寺や神社に足を向けるという考えも悪いことではないでしょう。 宗教的な場が多くの人に開放されていることを好ましく感じる人が多いのだということも確認できたように思えます。 これが自分だけ開放感を味わえたというにとどまらなければもっといいですね。
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