岸田首相が、米疾病対策センター(CDC)をモデルとする「日本版CDC」を創設すると表明しました。CDCとは、米国ジョージア州アトランタが本部のCenters for Disease Control and Preventionのことであり、米国連邦政府機関の一つです。CDCは、米国の健康安全保障を向上させ、人命を救い、米国民を健康の脅威から守ることが基本的なミッションです。
米国の連邦政府機関の本部は、ワシントンD.C.に設立されていますが、CDCがアトランタに設立された歴史は、米国内のマラリア対策の影響があります。米国でも1900年代初頭、年間数万人のマラリア感染者が南部テネシー川流域の湿地帯で発生し大きな医療問題になっていました。さらに、その後、第二次世界大戦で、米国はマラリア激震地にも軍隊を派遣し野営施設を造らなければならなかったことから、国を挙げたマラリアの研究と予防、治療法の開発が必要との判断で、1946年、温暖な南部のアトランタに、前身であるCommunicable Disease Center (CDC)が設立されました。現在と略語としては同じです。その後、数回の組織改編で名称は変化し、1989年まではCenter for Disease Controlでした。しかし、治療医学から予防医学が重要になってきたことから、1990年にPreventionを加え、現在の名前であるCenters for Disease Control and Preventionになりました。
CDCの具体的な位置づけと活動は、U.S. Department of Health and Human services(日本でいう厚生労働省)の下に存在し、政府(BARDA、FDAなどとの共同研究も含む)の予算をもとに、米国国内(一部海外の検体)から収取された患者検体を使って研究を行い、その解析結果をもとに、科学的知見からの公衆衛生学的なガイドラインを策定したり、公衆衛生の専門スタッフの育成と国内有事(一部国外有事)の際の現地派遣を行っています。
私が勤務していた部署は、Influenza Division, National Center for Immunization and Respiratory Diseasesでした。米国内(一部、南米、アジア、アフリカ)のインフルエンザ感染者の臨床検体から、ウイルスの薬剤耐性変異の解析を行い、薬剤治療ガイドラインを策定していました。その他のtasksとして、国内で薬剤耐性ウイルスの急激な増加や、原因不明の肺炎の報告などの際には、現地に派遣され患者検体を採取したり、治療状況や臨床状態などを議論して院内の感染対策や患者の治療方針などの提言を行っていました。
Divisionで作ったガイドラインは、日本でいうところの厚労省、U.S. Department of Health and Human services(HHS)には報告しますが、政治的な理由で、公表が延期・中止、もしくはrevisedされた経験はありません。こういったガイドラインは、各製薬メーカーの販売に大きく影響しますが、あくまで良いものは良い、ダメなものはダメ、と純粋に科学データを中心に発出していました。一方で、一部の連邦政府機関、例えばBARDAは、政治色の強い機関です。BARDAは、米国内の医薬品医療機器の開発支援を資金面で行うため、本部は上院下院議員会館と同じビルに入っており、迅速に政治と連携がとれるような仕組みになっています。