働く女性の声を発信するサイト『イー・ウーマン』
会議番号:3563 開催期間 2019年09月27日- 10月04日
今回はNoの投稿がありませんでした。あえてNoとしてのコメントを考えてみました。 虐待という言葉は「むごい扱い」という意味です。ところが英語のabuseやmaltreatmentは「適切ではない扱い、対応」ということになります。「行き過ぎた」行為と「むごい扱い」は結果として同じような事態に陥ったとしても、スタートの心性としては別なのかもしれません。目黒区の幼児虐待死事件で被告は、「自分のしつけには自信があり、子どもには問題がある」などと述べていると報道されています。この事件は、義父の教育方針に注目しても「行き過ぎた」ではなく「しつけや教育の曲解に基づく虐待」なのでしょう。 これまでは、虐待防止という観点から述べてきましたが、本日は、なぜ日本では「行き過ぎた教育」が起こりやすいのかを考えてみました。1つは、子どもの選ぶ権利、生活の権利(睡眠、休息時間や余暇活動)が「教育」、とりわけ「受験」という名のもので侵害されてきた事実です。私は、まずは健康と生活習慣をしっかりと確保することが重要、と外来で繰り返し説明しています。勉強や部活、お稽古事で、身体不調、睡眠不足、休息できない、などの状況に子どもを追い込まないことですね。 もう一つは、日本では、学校教育や家庭教育において多様な価値観を認めにくい現状です。“いぬいるかさん”のご意見のように「ななめの関係」にある第三者がチームとして教育を行うこと、“Tosukuさん”の、意見を尊重し合える文化、など、皆さん多様性をキーワードとしてあげられていますが、ご指摘の通りです。 まずは、体罰禁止など明らかに「行き過ぎた行為」を規制することから始めることになります。子どもの成長・発達、特に脳科学の視点もふまえて、「絶対にこうしてはいけない」というライン設定も検討する必要があるでしょう。次に、教育の多様性を認めるべく、学校教育を変えていくことを社会で考えてみることですね。しかしながら、究極的に、子どもの人権を認めることができなければ、教育虐待は起こりうるでしょう。“ki-yoさん”は「他人」が関われる社会と述べていますが、家庭や学校内でも1人1人の子どもの権利を社会で擁護することが求められます。1週間どうもありがとうございました。★古荘議長の新刊『「いい親」をやめるとラクになる』(青春新書インテリジェンス)こちらもお読みください!『教育虐待・教育ネグレクト 日本の教育システムと親が抱える問題』★古荘議長の過去の円卓会議より・自分は発達障害かも、と思ったことありますか?・子どもの自殺、防ぐことができますか?・「教育虐待・教育ネグレクト」について考えたことありますか?
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