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会議番号:3568 開催期間 2019年10月25日- 11月01日
今回も沢山のご意見を頂き、ありがとうございます。 「哲学」というと急に難しくて、近寄り難いものに感じてしまいますよね。 実際、スポーツジムなどでヨガのクラスを行う場合は、動きを重視するため、哲学的な事を伝えるのを禁止しているところもあるようです。 本の虫さんやkitazakuraさんのように哲学に興味を持った方が学ぶには、インストラクターを要請している教室やスタジオで学んだり、本で学ぶこともできます。 unagiさんのご自宅にある、「ヨガスートラ」がまさにそうですね。 私も読みましたが、1回読んでも全く理解できなかったので、何度も読み返して少しずつ理解しています。 いまだに日々学びで、分からない事が沢山あります。しかし、その学びの中で気付きがあることが楽しいので、やめられません。 哲学に興味がないという意見も頂きました。 実は動くヨガを行っている時でも、哲学は学べています。ただそれがヨガ哲学だとは言われていないので、なかなか気づけないのだと思います。 あきんぼさんのように哲学に興味がないと思っていても「ヨガは自分の体と向き合う調整の時間」と感じている事が、まさに哲学です!! 1日目にお話ししたように、私は体調を整えたり、心地よさを求めてヨガを始めた為、哲学・瞑想を学びたい!と思っていた訳ではありません。 よりヨガを深めるためにインストラクターの資格を取り、ヨガ哲学を学び、そこで初めて実はヨガを始めた時から哲学に触れていたという事に気付けました。 硬い言葉で伝えても、なかなか理解する事は難しいため、インストラクターは噛み砕いてなるべく皆さんに伝わるように話をしています。 ですので、まさかそれが哲学なのだとは、気づかないかもしれません。 それ位、哲学と言っても難しいものではないのです。 私の行っているヨガは「生活ヨガ」と言い、生活自体をヨガにしていくという考え方です。 ヨガは運動効果はありますが、運動そのものではありませんし、教室に通う時だけヨガを行うのではとてももったいないです。ヨガは、教室がなくてもマットがなくても行えます。 では、「生活をヨガにする」という事は、具体的にどういう事なのかと言うと、 例えば、緊張している時には手をギュッと握りやすいですが、逆に手を開いて手のひらを上向きにしますと、緊張がほぐれます。これは、ヨガのポーズのシャバアサナ(くつろぎのポーズ)の時に行う動きです。 また、頭を使い過ぎたり、首・肩が凝っている時というのは、ヨガ的にはエネルギーが上半身に上がってしまっていると捉えます。その際には、四股を踏んでみたり、膝を緩めた状態で息をフッフッと口から吐き出しながら、両足のかかとをドンドンと床に落とす動きをすると、下半身にエネルギーが降りるため、頭や首肩の力みが緩んだりします。 満員電車は心地の良いものではありませんが、身体の軸を整える場所だと考え、足を腰幅に開いてギュッとお尻を絞めると身体がフラつきにくくなります。自分の動作に意識を向けていると、外に意識がいかなくなるので、パーソナルスペースに他人が入ってきても、気にならなくなります。 他にも、内観・瞑想を癖づけておくと、悩みを抱えた時に対処しやすくなります。 悩みは過去に経験した事か、この先何か起こるかもしれないという未来を考えた時に起こります。しかし、過去に起きた事は過去にすぎず、未来の事を考えてもそれが実際に起こるかもわかりません。そういった事に心が奪われるよりも、今この瞬間を見つめる事=内観・瞑想する事により、物事・自分を客観的に見る事が出来、悩みも軽減し易くなります。 いくつかの例を挙げてみましたが、もっとシンプルに、仕事中に身体が硬くなったら、胸を開いて深呼吸をする事でも、十分ヨガを行なっていると言えます。自分の身体や心の声を聞き、自分が気持ちよくなる様に行動する事も、立派な内観ですし、ヨガなのです。 では、皆さんにも是非お聞きしたいと思います。このような「生活にヨガを生かす」ことについて、ご自身も知らず知らずのうちにやっていたこと、またはこれからやってみたいと思われたこと、新たな気づきなどがあれば教えてください。「ヨガをしたことがありますか?」へのYES、NOとともに、投稿をお待ちしています。 最後の質問になりますので、また沢山のご意見が頂ければ嬉しいです。★関連する過去の円卓会議より
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