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会議番号:3645 開催期間 2021年06月18日- 06月25日
島で暮らす人の、4人に1人が犠牲になった。76年前終わった沖縄の戦争とは、どんなものだったのでしょう。今日、6月23日は、沖縄慰霊の日です。ご存知だった人はYES、知らなかった、という人はNOに投票してください。 1945年4月1日、米軍の攻撃で沖縄戦は始まりました。東京はじめ本土の主要都市は空襲が始まり、敗色は決定的でした。レッズさんが書いたように、侵攻する米軍を沖縄で迎え撃ち、徹底抗戦で釘付けにすることで、本土決戦を遅らそうと、というのが軍部の作戦でした。沖縄は「本土の盾」とされ、20万人が犠牲になりました。 早く戦争をやめておけば、多くの犠牲者が出なかったのに、と思うのですが、戦争は始まると止まらない。負けが分かっていても、人がたくさん死ぬことが分かりながらも。 真打ちさんは、98歳まで「語り部」をつづけた女性のことを書いています。子や夫、両親など11人を失ったこの方は、33回忌に取材を受けるまで辛い体験を言葉にできなかった。沖縄出身の南海さんは「語ることがはばかれる程の悲惨さ」と表現していますが、地獄の体験は口にすることさえできない悲惨なものなのでしょう。「長い時を経て語るに至った思いは、しっかり継承する役割が残された者にはある」と真打ちさんは言います。シンゴパパさんは、「自分たちに出来ること」を具体的に書いています。 あなたは、「残されたものの役割」をどう考えますか。 沖縄県庁の前で具志堅隆松さんという方がハンストをしているというニュースを新聞で見ました。「遺骨が混じった沖縄南部の土が辺野古の埋め立てに使われている現実に目を向けてほしい」と訴えています。具志堅さんは67歳、沖縄戦を知らない世代です。遺骨収集を手伝ったことで悲惨な戦争を知り、「ガマフヤー(ガマを掘る人)」というNPOを立ち上げ、遺骨を探しDNA鑑定して遺族に引き渡す活動をしています。子どもが母親にすがりつく遺骨、頭部を銃弾が貫通した遺骨、どんな状況で死んだかの手がかりが遺骨にはあり、死者の無念が伝わってくる。「遺骨は遺族に返すもの。基地建設への賛成・反対に関係なく、死者への敬意に関わる問題です」という。 遺骨を掘れば掘るほど沖縄戦の悲惨さが心に刻まれる。30年間、黙々と掘り続けるのは、遺骨の叫びが聞こえるからではないでしょうか。「知ること」が前に進むエネルギーになる。 沖縄で何が起きているのか知らなくても、日常に支障はありません。そんな中で、具志堅さんは、誰に何を訴えたいのか。なぜ、「沖縄慰霊の日」があるのか。 例年5000人規模で行われる式典は、今年は30人程度に規模が縮小されますが、式典の背後には、夥しい死者の魂が群がっているのではないか。 会議最終日に向けて、「沖縄の『慰霊の日』知っていました?」への投票と合わせ、「残されたものの責任」。「あなたができること」を投稿してください。
★山田議長の過去の円卓会議より
・沖縄の民意。活かす方法はあると思いますか?
・本土の人は、沖縄に冷淡だと思いますか?
・普通の人が政治家になるには障害が多すぎる、と思いますか?
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