働く女性の声を発信するサイト『イー・ウーマン』
会議番号:3651 開催期間 2021年08月06日- 08月13日
戦争の話を家族でした経験のある人は約7割いました。そしてファミリーヒストリーに絡むたくさんの投稿、ありがとうございます。 ・軍事工場で空襲に遭い、仲良くしていた友人が犠牲になったおばあちゃんの「勤労奉仕」(arkさん) ・お祖父さんは戦死、残された家族が必死の思いで満州から逃げ帰った「引き揚げ」という逃避行(めぐっちさん・真打ちさん) ・兵士でなく農業指導員だった叔父さんまで巻き込まれた「硫黄島の玉砕」(まゆみtmさん) ・広島で祖母・曽祖父母が経験した「被爆」(aindgblueさん・まうやんさん) ・焼夷弾が落ちてくる中、3歳児の手を引き赤ん坊をおぶって逃げ回ったばぁちゃんの「大阪大空襲」(ましゅまろさん) どれも家族史に起こった重大事件でした。お父さん・お母さんは、なんとか生き延びて、あなたは生まれることができた。先人が遭遇した「修羅場」は、死んだ人も含め、あの時代を生きた人の共通体験です。伝えることができるのは「生き残った人」だけ。 shoshoさんのお母さんのように、何かをきっかけに眠っていた記憶が蘇り、次の世代が戦争を考える糸口になったり、まうやんさんのお祖父さんのように、後世に残そうとして意識的に文書にした人もいました。戦争が話題になるのは「全体の7割」ではありますが、記憶への向かい方には濃淡があるようです。 多くの家庭で、戦争は「小声で語られている」ように思います。「出兵していた祖父は被爆を免れましたが、戦争については一切話しませんでした」(aindgbiueさん)とあるように男性は、どちらかというと寡黙です。なぜでしょう。 「出兵」という異国の軍隊体験が口を重くしているのかもしれません。命が軽視される戦場での体験は、戦争を知らない世代に分からない、言っても伝わらないというためらいでしょうか。「戦友会」という共通体験者の集まりでしか心を開けないという人や、戦友会には絶対に行かない、という人もいました。戦場体験者に限らず「12歳の少女が『撃ちてし止まん』と達筆に書き初めした」(ナカサワさん)という時代の空気の中で育った人は、価値観が一変した戦後で戦中の自分を語ることに抵抗を感じたと思います。説明がつかないもろもろの記憶は脇において、ひたすら豊かな暮しに邁進することで「忌まわしい時代」から抜け出したかったのではないでしょうか。 戦後が一服し、晩年になり、心を絞り出すように、あるいは蘇った記憶を断片的に語る。発せられた遺言のような言葉を、戦争を知らない世代は、どう語り継げばいいのか。 「戦争」は、あまりにも大きなテーマで、私達は身構えたり、距離を置きたくなりがちです。でもあなたが知っている「身近な戦時下の苦労話」は、子どもたちが身を乗り出して耳を傾ける話題かもしれません。ご自分の子や孫に限らない。親戚の職場、地域の集まりで、敢えて話題にすることがあってもいいのではないでしょうか。 「お盆」には、ご先祖様が帰って来ます。親族が顔を合わすこともあるでしょう。ファミリーヒストリーの空白を埋めるチャンスです。家族史は、伝え聞くだけでは十分ではありません。tosukuさんが言うように「生きている間に聞いておけばよかった」と思うこと、皆さんありませんか。だったら「調べてみる」ことをお勧めします。「聞く」だけでなく「掘り起こす」「断片情報を組み合わす」のが歴史編纂の面白みです。 DiamonndBarさんが「叔父が祖父の戸籍などを元に調べて知らせてくれました」と書いていますが、これです。 私は何者なのか? どこから来て、どこに向かうのか? 仕事や暮しに追いまくられる日常の中で、ふと「生命の連鎖」を意識する一瞬、ありませんか? 引き続き、戦争に絡むファミリーヒストリーをおまちしています。今日の投稿にあったキーワード「大空襲」「被爆」「玉砕」「引き揚げ」「勤労動員」「疎開」「防空壕」などに絡むご家族の体験談などをお寄せ下さい。そして、あなたなりに「戦争を語り伝える」ことができるアクションとはどんなことか。elephantさんのような営みも興味深いものです。「ファミリーヒストリーと戦争。家族で話したことありますか」へのYES/NOの投票をお願いします。併せて、あなたの「家族史戦争編」への考えを投稿して下さい。★山田議長の過去の円卓会議より・沖縄の「慰霊の日」、知っていましたか?・沖縄の民意。活かす方法はあると思いますか?・8月。戦争について何か考えましたか?
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