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会議番号:3651 開催期間 2021年08月06日- 08月13日
Jerrybさんは「人が人でなくなるのが戦争」といいました。戦場では、殺される前に相手を殺す。普通の人に「人殺し」は出来ません。「肝試し」と称し捕虜を銃剣で・・・などという「初年兵イジメ」が起こるのも、異常を異常と思わない戦場の「空気」の為せるわざだったのでしょう。戦争という檻の中で、「加害者」も心に傷を負った。「被害者・加害者の区別なく、皆一様に被害者なのではないか」と真打ちさんは指摘します。 Achikoさんが言う通り「戦争は途方もない人権侵害行為」です。その最たるものが原爆ではないでしょうか。非戦闘員数万人の命を一瞬に奪った。今で言えば「人道に反する無差別大量殺戮」です。「戦争を終わらせるため」という口実でした。 東京五輪の直前、IOCのトーマス・バッハ会長は被爆地広島を訪れ献花しました。広島市長は「原爆が投下された8月6日、五輪会場でも黙とうをして頂けないか」と要請しました。返事は「ノー」でした。「閉会式に、亡き愛する人を偲ぶ時間をもうける」とバッハ会長は被爆者への黙祷を却下しました。 新聞・TVやネットなどで非難の声があがりました。核廃絶は世界の願い、平和の祭典なのに犠牲者への黙祷を拒否するなんて・・、という意見が圧倒的でした。国民感情は「五輪の場で黙とうを」でした。 そんな中で、朝日新聞の「論座」に「8月6日の『原爆の日』に、五輪選手に黙とうを呼びかけることへの私の違和感」という論考が載りました。筆者は国際平和博物館ネットワーク共同コーディネーターとして広島・長崎の被爆者の声を世界に伝える活動をしている乗松聡子さんです。 核兵器禁止を訴える人が、「ちょっと待って」と言っている。「どうして?」と思い、読んでみました。 「海外で原爆展を行い、アジアや欧米の友人たちと歴史を語るにつけ、日本人が広島・長崎や空襲を語るときは、原爆に至るまでに日本が70年余にわたりアジアの同胞に対し残酷な支配・強制動員・殺戮を行ったことや、連合軍捕虜を虐待した歴史を念頭に置かなければいけないと思うようになった」。 円卓会議で議論になった「加害をどう考えるか」と重なるように思いました。高校でカナダに留学した乗松さんは、自分の知っていた戦争は、戦場にされた被害者側から見る戦争と別物だったことに気づいた、といいます。 アジアを植民地化する列強に対抗して朝鮮半島・中国大陸に軍を進めた日本が、異国の人にどんなことをしたのか。文化や人権まで侵された人たちの被害感情と向き合わないまま、広島・長崎への黙とうを、五輪参加者全部に求めることがいいのか。「違和感」はそこにあるようです。乗松さんの主張には「歴史認識」という重い課題が潜んでいて、意見はいろいろあるでしょう。 「そもそも日本から仕掛けた戦争です。加害にも目を向けない限り、戦争の実態には迫れない」(レッズさん)。「被害よりも加害に意識的に目を向ける」(Achikoさん)。成熟国家にはそれぐらいの心の深さが求められると思います。国益や責任問題が絡むとややこしい。歴史認識はイデオロギー問題のように刺々しくなりがちですが、「日本の歴史」はファミリーヒストリーの集合ではないでしょうか。 顔や名前が思い浮かぶ人の体験や言葉を思い出し(掘り起こし)、次の世代に語り継いでゆく。抽象論でなく、為政者からの押しつけでもない「我が家の戦争」を考えることができるのではないか。それなら私でもできる。みなさんはどうでしょう。 この一週間、ありがとうございました。中身の濃い議論ができた、と思います。投稿した方も、読みながら考えた人も、「我が家の戦争」だけでなく「あの人達にとって戦争とはどんなものだったのか」に思い巡らすことができれば、議長として嬉しく思います。★山田議長の過去の円卓会議より・沖縄の「慰霊の日」、知っていましたか?・沖縄の民意。活かす方法はあると思いますか?・8月。戦争について何か考えましたか?
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