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会議番号:3732 開催期間 2024年01月12日- 01月19日
高齢の両親が金沢にいることは、最初に触れたとおりですが、実は元日の大きな揺れの瞬間、二人は二階の部屋を飛び出し、非常階段を駆け下りて屋外に避難していました。 ともに生まれ育ったのは古い木造家屋で、地震の際はとにかく外に逃げるというのが、小さな頃から習性として身についているようです。 さらなる地震に備えて、扉を開けたままで、その日を過ごしたといいます。これも地震のときは扉が開かなくなるので開けておくという、昔から身についている習性です。 入居している高齢者向けマンションは、建てられてからまだ日が浅く、震度7でも致命的な損傷を負わないよう頑丈に作られています。非常用のさまざまなインフラも整備されており、避難所にしても使えそうなくらいです。 あわてて外に出て、剥がれた外壁やガラスなど、何か頭上に落ちてくる可能性もあります。 外の寒さで、健康を害することも十分考えられる年齢です。 そういったことを考えると、可能性としては、部屋の中にいるのがひとまず最も安全ではないか。上からモノが落ちてこない寝室に、ひとまず逃げ込むのが良いのではないか。 もしも避難が必要なときは、施設の人が必ず誘導するはずだから。 ここ数年、能登半島で頻繁に地震が起きていることから、これらのことは実は以前から幾度となく伝えてきました。 しかしこれほど大きな地震は初めてだったらしく、勝手に身体が反応してあわてて外に逃げたといっていました。 建物は海岸線からは約6km離れてはいるものの、大津波警報が出ている最中に、高いところから低いところに避難するのは、やはり道理に反していると言わざるをえません。 大きな災害に直面したときに、冷静になって考えろというのが無理な話で、長年にわたって身につけてきた習性や考え方に、行動が支配されてしまうのは、仕方がないのかもしれません。 NHKが強い口調で津波から避難するように呼びかけていることについて、今回は実際に沿岸部が大きな津波に襲われたことから、概ね妥当だったのではないかと見られているようです。 しかしこれまでには、それほど大きな津波が来なかったにもかかわらず、強い口調で避難を呼びかけたことについて、懐疑的な意見もあったように思います。 とくに「オオカミ少年」効果を心配する声が一番多くを占めていました。 本当に大きな津波のときにも、どうせまたと、避難につながらなくなるのではないか。わたしもその点では、同じように危惧を抱いていた一人です。 大きな災害が発生して、理性的な判断ができないようなパニックに陥ったときには、上手く状況判断ができず習性で安全とはいえないような行動をするケースや、逆に正常化バイアスが強く働いた結果、たいしたことないと思い込みたい判断が勝り、その場に留まって避難しないケースも多くありました。これらのことは、さまざまな調査結果が裏付けています。 今回の両親の行動を見ていると「オオカミ少年」効果を危惧することよりも、ある程度断定・命令口調で強く訴えかけないと、身の安全を確保する行動につながらないのではと、強く感じました。 大騒ぎしたものの、たいしたことなかったという状況は、ついつい恥ずかしいと思いがちです。先ほど触れたように、信頼を少しでも失うことは、報道メディアにとって最も恐ろしい事態と言えます。 しかしそのようなことよりも、一人でも多くの命を救うために強く呼びかける方法を実践し続けることの方が、最終的により信頼してもらえるはずだというNHKの決意が感じられます。同時にメディアの役割について、さまざまなことを考えさせられます。 被災者一人一人に寄り添い、その人たちが求めている情報を網羅することは、全国ネットの放送ではなかなか難しいと言わざるを得ません。 それではどのような内容を放送すればよいのか? それぞれの放送局では、今のこの瞬間も試行錯誤を繰り返しながら、手探りで答えを探し続けているというのが現状です。 そのように難しいテーマに皆さまから、様々なご意見がよせられました。 「被害状況、日本に与える影響、政府や自治体の対応、復興への取り組み」と同時に「影響のなかった人たちにやってほしいこと、避ける必要のあることを知らせてほしい」(DiamondBarさん)、「外にいる人がやってはいけないことを伝える」(Jerrybさん)、 「出来るだけ現地の負担にならないで、現地のためになること」(シンゴパパさん)、 「かえって迷惑になってしまう支援」(おがわさん) 特に今回の被災地となった奥能登は、これまでの災害復旧の経験が生かされないほど交通事情が悪く、経験豊かな民間のボランティア団体ですら現地入りできないような状況が続いています。 もちろん警察や消防、地元の役所、自衛隊なども全力で活動を続けており、頭が下がる思いです。しかし最近では避難所の円滑な運営などには、民間ボランティアの協力が欠かせなくなってきているのも事実です。そういう経験が生かされないような事態は想像できませんでした。 被災者のためになる有益で具体的な情報が重要なことは、言うまでもありません。 しかし全国ネットで伝える内容は、それだけではないような気がしています。 例えば、被災者の置かれている状況や苦悩、失望感、絶望感、そして一筋の光、かすかな希望といったものを、視聴者が我がこととして感じ取れるには、どのような内容にすれば良いのかということを少し考えてみましょう。 我がこととして感じ取れるということは、もちろん支援活動につながります。 しかしそれだけではありません。 皆さんの願いがより強くなって、社会を良くしていくような形になるかもしれません。 これはなかなか目には見えにくいことです。具体的な支援と違って、回り回って少しだけ、しかし大勢の人にもたらされるものなのかもしれません。 発災してすぐに夜間飛行できる暗視機能を備えたヘリを多く飛ばせないか。その日のうちに安全な場所に救助・捜索部隊を大規模に展開できないものか。確かに簡単ではありません。 しかし地震をはじめとする災害の多い国の政府として、一人でも多くの命を救うためには、これまでの前例を踏襲していてはいけないのです。 新しい技術や考え方を生かして、今までとは違うアプローチが、常に求められるはずです。もっともっとできることはあるはずです。今回もあったはずです。 これは被災した方々だけでなく、すべての人々に関係していることです。 そういった思いを強くし、それを結実させるためには、感情を動かされる内容を、一人でも多くの視聴者に届けることが必要です。そして報道内容の事実で多くの人を納得させることが必要です。 2日目の投稿でnekosaurusさんが語ったように「震災を我が事として」感じ取れない限り、次に災害に襲われるかもしれないという切実感を持つことはできません。しょこさんは「感情に訴える表現が必要なこともあるかも」としながら、一方で、「そういった報道に公平性や健全性、倫理観などで疑問を持つ」と語っています。 「検証報道」という言葉があります。もちろん後から追加取材をして冷静に多角的に検証することは重要です。 しかし大勢の人が毎日のようにニュースで目にし、話題にし、そこに思いを馳せている、このときこそ、強く印象に残り効果的といえます。 人々が話題にすればするほど、その情報は何度も刷り込まれて教訓として社会の記憶に残り、さまざまな人に広がっていきます。今が社会を変える機会かもしれません。 会議の初日で、震源の×ではなく、大きな断層地震では動いたと見られる断層を書き込むことの方が良いのではないかと言いましたが、どれだけ激しい揺れがどれだけ広い範囲を襲ったのかということをより具体的に想像できることが重要ということが言いたかったのです。 細かい工夫ですが、何度も何度も出てくる画像なので、意外に影響は大きいのでは思っています。そういった被災者の置かれている状況を、少しでも具体的にわかるように伝える方が優れていると思いませんか。 災害報道を目にした視聴者に、少しでも自分のことと思ってもらえるような、自分を被災した人に置き換えてさまざまなことを考えてもらえるような、そんな伝え方について、皆さんのお考えをお寄せいただきたいと思います。 「今の災害報道。もっと改善できますか?」へのYES、NOとあわせて、よろしくお願いいたします。★織田議長の過去の円卓会議より・被害者の実名報道。必要ですか?・藤井聡太さん、活躍。将棋への関心は高まりましたか?<運営事務局より>投稿は、お一人お一人の視点や体験を言葉にしていただく、大変貴重なシェアリングです。・自分を主語としたI statement で書いてください。掲載する投稿は、「私は」を主語に変更させていただく場合もありますのでご了承ください。・引用がある場合は、必ず引用元を明記してください。・議長からの各日の投げかけ(赤字部分)に答えた内容で投稿してください。
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