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会議番号:3756 開催期間 2024年09月13日- 09月20日
本日もいろいろなご意見ありがとうございました。 “DiamondBar”さんが、部下に指導したらパワハラと言われたエピソードとともに、「ハラスメントのおかげで、お互いに生きづらさを感じている」と述べています。確かに各自が権利を主張し自己実現を目指すことで、周囲の人に生きづらさを感じさせることもあると言えるでしょう。“ひるねさん”が、介護中に、自分の先回りした行動が親を生きづらさを感じさせたかもしれない。“真打ち”さんは職場全体がお互いに生きづらさを感じている深刻な現状を投稿いただきました。 職場や学校、家庭の中では力関係が存在します。強い立場(上司・教師などの指導的立場の人や親、介護者など)の人が、自身の権利の保障や自己実現にこだわると、弱い立場の人に生きづらさを与えて、ハラスメントととらえられることもあります。自己実現は心理用語で定義することが難しいのですが、その達成には「自分自身を深く理解すること」が前提となります。 一つのケースとして、現在ニュースでも話題となっている兵庫県知事の行為を、報道内容から読み取れる範囲で考えてみました。知事は、権利(ここまでくれば権限、権威をふりかざすことになるでしょうが)の主張と自己実現(知事としての仕事)を目指すことに固執して、多くの職員に生きづらさを与えている、周囲からはハラスメントや県政の停滞が指摘されても、自身のウェルビーイングに固執している、という見方もできるかもしれません。 親子関係の歪は「教育虐待」を生じることもあります。体罰や暴言は身体的虐待、心理的虐待と捉えますが、自分の実現できなかった希望を子どもに押し付ける、他者と比較をする、先回りして行動計画をたてる、などの行為が心理的虐待を内包した「教育虐待」にあたることもあります。「虐待」という言葉は負のイメージが強すぎますが、「子どもに生きづらさを感じさせていないか?」と置き換えて、立ち止まって考えることも重要です。 親子関係に限りません。アカデミックな環境でも同様です。論文・研究指導を行う立場の人は、いくら丁寧な言葉を使い、できているところを評価しても、指導される学生や研究者に、修正点を具体的にわかるように説明しない、皮肉や比較の言葉が、指導される側に生きづらさを感じさせてしまえば「教育虐待」「アカハラ」の概念にあたることもありえます。“blueberry53”のように気を使いすぎてお互い悩むケースがある一方で、無頓着な指導者は多くの学生に生きづらさを感じさせてしまいます。組織全体でのガバナンスと相談体制を構築することが重要ですね。 次回は最終日です。組織や集団の中で、双方向的に生きづらさを感じさせないような対処、感じた時の対策についてご意見をいただきたいと思います。 たくさんの投稿をお待ちしています。
★古荘議長の過去の円卓会議より
・子どもの自殺増加、サインに気づくことはできますか?
・あなたは「自己肯定感」高いですか?
・行き過ぎた教育は虐待?と思うことはありますか
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